小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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【Report:3 創造と現実の相似形】


 出迎えてくれたのは、俺に連絡を寄越したサリム・リヴェットだった。
 声や物腰からてっきり新人かと思っていたのだが、考古学チームの副主任だという。解らないものだ。
「お忙しいところ恐れ入ります」
 ラボには、リヴェット副主任と数人の研究員、それとアリシアが居た。夜勤ではなかったはずだが、と思っているのが顔に出たのだろう。リヴェット副主任が応じる。
「私どもが無理を言いまして……お邪魔でしたか?」
「ああ、いえ、別にそういう訳では」
 ラボのモニターには、今日アリシアが見た「石版」の画像。それと、幾つか似たような石版の画像が並んでいた。
 表面には、見慣れない文字らしきものが刻まれている。恐らく「石版」と同じ文字を探していたのだろう。
「それで……私は一体何をすれば?」
 幾ら石版を眺めても、俺のやるべき事は全然解らない。賢者の石に関する資料を集める過程で、何度も考古学の資料を目にしてはいた。だが、協力出来る程の知識は無いし、そもそも俺が知っていて専門チームが知らない事がそうそうあるはずもない。
 リヴェット副主任を見る限り、多分、俺の考えていることはお見通しなのだろう。
「書かれている文字をご覧頂きたいのです。どのように思われるか、それを伺いたい」
 彼は穏やかな声で続ける。
「テイラーさんの見られた石版なのですが、どうも我々の知るものでは無いようなのです」
「どういうことです?」
「保管している資料の中に、合致する文字が見付からないのですよ」
 この言葉だけを解釈するならば「歴史的発見」かもしれない、と思える。だが相手はあの「賢者の石」だ。素直にそう受け止める訳にはいかない。
 彼の言葉を待つ。
「これに関する資料も探ってみました。賢者の石が文献に現れ始めた時期の文字とも照合しましたし、勿論それ以前のも調べました。それでも、無かったのです。似た系統の文字すら見付けられませんでした」
 彼は淡々と述べる。落胆した様子も興奮した様子も見られない。
「強いて言えば……」
「強いて言えば?」
「最近開発された新造文字に、似ています」
 聞いたことがある。別分野のチームが行っているプロジェクトだ。
 友人からの情報だけで詳しいことは知らないが、世界中で使える統一言語を開発しているらしい。他国の研究機関とも共同で開発している、かなり大がかりなプロジェクトだという。
 同じ事は、過去に幾度も試みられている。そして今までに一つも普及はしていない。今回もそうなるだろうと思っていたのだが、賢者の石との関連がありそうなら話は別だ。
(抑えておく必要がある、か?)
 だが。
「……そのプロジェクトの話は少しだけ知っていますが、私自身は関わっていません。似ていると判断されるのであれば、プロジェクトのメンバーを呼ぶべきでは?」
「ええ、そう仰られるのもごもっともです」
 彼は微塵も動じない。
「一応、我々のチームから出向している者もいるので、詳しい話はメンバーが戻り次第聞くつもりです。ですが、我々が訊きたいのはあなたの話です」
「自分の、ですか」
「そう。もしもこの石版があなたの見た箱と対になる、もしくは関連があるものだとすれば、箱を見たあなたにだけ解ることがあるのでは?」
 それは、俺も少し考えた事だった。
 石版が鍵ならば、俺に解る事があるのでは、と。
 モニターに目を遣る。
 石版に書かれている、模様にも見える文字。見覚えのある雰囲気ではある。
 しかし、何も解らない。
 文字が光って見えるとか、意味が頭の中に流れ込んでくるとか、そういう事などある訳がなかった。
「いいえ、私には何も……」
「それは残念。では、明日に持ち越しですね」
 リヴェット副主任は少しがっかりした顔をする。だが、その姿勢は穏やかなままだ。
「お役に立てず申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ。お手数おかけ致しまして……」
 もう一度だけモニターの石版を眺める。光ったように見えたのは、残念ながら目の錯覚だった。


 せっかく来たのだから、とリヴェット副主任の計らいで資料を見せて貰う事になった。
 しかも気を利かせてくれたのか、案内役にとアリシアを付けてくれた。
「思ったより、知られてるのな」
「何が」
「俺達の事さ」
「そりゃ、長いし……。うちのラボはみんな知ってるでしょ? 他の部署も知ってるに決まってるじゃない」
「そうか」
 自覚していなかったのは俺だけらしい。
 突っ込んだ話をするのはゲオルグくらいだ。アリシアは俺以上に色々言われているのだろう。女友達との話は恋愛話がメインだ、そう彼女は言っていた。
 一度だけ話の輪に巻き込まれた事があったが、その時は手加減されていたのかもしれない。大した追求を受けずに済んだのだが、後々考えると少し怖ろしい。本気を出されればゲオルグの比ではないだろう。
「何ぼんやりしてるの?」
「別に、大したことじゃない」
「……そう?」
「それよりも、今日は夜勤じゃないんだろ」
 時刻を確認する。かなり長い残業になってしまっている。
「ええ。リヴェットさんがケイジを呼ぶって言ってたから残ってたのよ」
「そうか。悪かったな、遅くなって」
「いいのよ。どうせ帰っても誰も居ないんだし」
 アリシアがマシンを操作する。
 資料そのもの――古い本やオブジェなど――は専用の保管庫がある。参照する場合は、データベースから閲覧する事になる。資料の破損や紛失を防ぐのが主な理由だ。
「何を調べる?」
「箱……に関する資料だな。どっから攻めるか」
 テキストボックスが明滅して、検索ワードを入力しろと催促する。
「復習になるが、オーソドックスなのから調べるか」
 キーボードを叩く。
 検索ワードは「パンドラの箱」。検索条件は「オブジェクト」。バーナー主任の言葉を思い出す。
 僅かな呼び出し時間の後に、ずらりと箱の写真が並ぶ。
「自由に使って良いみたいだから。リヴェットさんも夜勤だし」
「それじゃ、お言葉に甘えるかな」
 賢者の石のラボでもある程度の資料は見られるのだが、詳細な資料はここでなければ呼び出せない。部外者が簡単にアクセス出来ないようになっているためだ。
 せめて賢者の石関係は開放して欲しいとは思うが、この資料も機密に当たるのだ。わがままは言えない。
「アリシアはどうする?」
「もう少しだけ、残るよ」
 アリシアはそう言って微笑んだ。

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