小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 箱、箱、箱。
 そこに時々混じる、壺。
「どうやらパンドラの箱は違うみたいだ」
 ずらりとならんだ写真を数ページ眺めてみたが、これだ、というものは見付からない。
 やはり、パンドラの箱は俺の見ている箱とは違うのか。
「うーん……他を当たってみたら?」
 隣のマシンを操作していたアリシアが言う。
「他って?」
「こういう美術品ってさ、宗教関係のものが多いのよ。指導者とかそういう立場の人が作らせたりしてるし、芸術家も進んで宗教的なモチーフを題材にしていたしね」
 言われてみれば、今まで調べていた資料も宗教関係のものが多かった。絵一つ像一つ取っても、そこには何かしら宗教的な意味合いがあった。
 だとすれば。
 検索対象を変更する。
 検索ジャンルは「宗教」、検索ワードは「箱」、検索条件は同じく「オブジェクト」。
 ややあって、画面に検索結果の一覧が表示される。
 経典が入っていたという箱。指導者の遺品を収めた箱。先程とは違う様々な箱が並んでいる。
 それをざっと流し読みして、小さく表示されたサムネイルを確かめていく。
 そして次のページを読み込んだ瞬間、俺の鼓動が跳ね上がった。

「契約の箱」

 誰かが、耳元で囁いた気がした。
 背筋が震える。すっ、と体温が下がる感覚。
 あの時と同じ。そう、ユキノと出逢ったときと、同じ。
(これ、なのか?)
 俺が見たのは、俺が求めてきた答えは、これなのか。
 震える指先でマシンを操作し、そのページを読み込んだ。
 永遠より長い一瞬の後、それは表示されていた。

 ――契約の箱とは、その名の通り神と人とが契約をした時にもたらされた箱だと伝えられている。
 オリジナルは過去に存在したが、現在我々が目にしているのはレプリカである。オリジナルの行方は判明していない。
「私とあなたがたとの契約の証として、この箱をあなたがたに授ける。あなたがたがこれを持つ限り、私はあなたがたを祝福する。だが、あなたがたが過ぎた力を持ち、禁断の地に分け入るならば、あなたがたからこれを失わせる。そして私の使いが、あなたがたを打つだろう。」(以上『契約黙示記』より抜粋。)
 この時に行われた箱の授受を以て、神と人との間に信仰という名「契約」が結ばれたとされる。
 箱の中身に関しては、人が守るべきとされる「戒律」や、来るべき時に授けられる「叡智」が入っていると伝えられている。
 経典によれば、神から人へと渡されたものは一つだけであり、その後崇拝対象として作られたものが、現在目にしているレプリカである。
 「戒律」と「叡智」に関しては、リンク先を参照の事。――

 これだ、と確信する。
 根拠は何もない。だが、そうだとしか思えない。
「どう? 何か良いもの見付かった?」
 アリシアが画面を覗き込む。
「ああ……間違いないよ。俺が見てる箱は、これだ」
「これって、これ? 契約の箱? 確かに雰囲気は似てるけ……ど……」
 示された写真に鍵穴は無い。資料にも「鍵」に関しては一言も触れられていない。
「契約の箱に鍵は無いのよ。人間では開けられないようにって……ほら、ここに書いてある」
 彼女の指先が、文章をなぞる。

 ――箱には鍵穴は無く、しっかりと密閉された状態で渡されている。
「鍵があれば、あなたがたは鍵を探すだろう。そしてそれを求めるために彷徨い続けるだろう。あなたがたはその途中で倒れるだろう。だから私は、この箱を封印する。時が来たら、私がこの箱を開け、全ての人に叡智を授けよう。覚えておきなさい。この箱は私にしか開けることが出来ない。もし私以外の者がこれを開けるならば、私の使いがその者を滅ぼすだろう」(以上『契約黙示記』より抜粋)
 神以外には開けられないとしながらも、神以外の者が開ける可能性を示唆する理由には諸説ある。
 現段階では「使い」と呼ばれる存在、箱が失われる条件として挙げられた「過ぎた力」がそれに当たるのという見方が主流である。――

「……もし、これに書かれている過ぎた力ってのが、鍵だとしたら?」
「鍵穴が無いのに、どうやって開けるのよ」
「だから過ぎた力なんだろう。鍵穴も無いのに開けられるんだから」
 枷が外れたかのように考えが溢れ出す。
 言葉の濁流に押し流されてしまいそうになる。
「開ける方法は、鍵を探し出すことか、それとも無理矢理開けるか。過ぎた力の正体が解れば開けられるかもしれない」
「ケイジ、落ち着いて。これはあくまでも宗教……ある種の事実はあるかもしれないけど、全てが本当じゃないのよ?」
「解ってる……」
 駄目だ。どこからか流し込まれているように、思考が、言葉が、奔流となって駆け巡る。
「ケイジ」
 眉間にしわを寄せて押し黙った俺の肩を、アリシアがそっと抱き締める。
「落ち着いて。解るわ、ケイジの気持ち。答えが見付かったかもしれないって、そう思ってるのよね?」
「かもしれない、じゃなくて……」
「焦らないで。少しずつ、一つずつ、考えていけば良いんだから。私が見たものも調べるんだし、これから色々と解ってくるんだから……ね?」
 彼女はゆっくりと、母親のように言葉を紡ぐ。
「今日はPIPSの実験もあったんだし、一気に色々進んだからこそ、ゆっくりと落ち着いて見ていかなきゃ」
 昂ぶった気持ちが段々と落ち着いてくる。
 跳ね上がった鼓動も、少しずつ収まっていく。
「……大丈夫?」
「ああ。悪かった。でも……これだっていう確信があるんだ。根拠は無いんだけどさ」
 深呼吸を一つ。
「けど、初めて知った訳じゃないんでしょ? 何度か資料を見ているはずだし、話は知っているはずよ」
 確かに、これに関する資料は目にしているはずだ。世界的宗教の経典に出てくる話で、しかも箱に触れているものだ。信者でなくとも知っている話だ。俺が見逃すとは考えられない。
 ならば何故、急にそう思ったのだろうか。
「覚え書きを残しておいた方が良いかもしれないわね。それと、副主任に許可を取って、このデータのコピーを貰っておきましょ」
「そうだな」
「それじゃ、私言ってくる。これが終わったら帰るわ」
「ん……ありがとう」
 唇が軽く触れ、アリシアの体温が離れていった。

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