小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 ユキノと出逢ってから二日後。
「かのみん、主任が呼んでるぜ」
「かのみんって呼ぶな。……で、主任が?」
「呼んでたぜ。何かやらかしたのか、お前」
「人聞きの悪い事言うな」
 恐らく、所長の回答が出たのだろう。
 色よい返事を貰えたなら良いのだが、とバーナー主任が詰めているラボへ急ぐ。
「カノミです。入ります」
 ラボは相変わらず訳の解らないシステムで一杯だった。マシンの稼働する独特の匂いが立ちこめている。
「もう少しで調整が終わるんだ。少し待っててくれないか」
「解りました」
 違う部署に来る度に、ここがとてつもなく大きな研究施設なのだと実感する。ラボもこの一つだけではない。ここはマシンやそれに付随するシステムの開発が主だが、別のラボは生化学の研究をしている。もう一つ言えば、俺の専門である賢者の石も、専用のラボで研究されている。
 総合研究施設イルミンスール。国家中枢機関の名に恥じぬ規模だ。
 全ての叡智がここにある、というのは少々言い過ぎではあるだろうが、そう思えるくらい様々な研究がなされている。
「待たせたな」
「いえ。それで、用件とは?」
「昨日だか一昨日の少女の件だ。ユキノ……と言ったか」
「ええ」
「所長から訪問の許可が下りた。許可証がそろそろ発行されるだろうから、手元に届き次第行ってみるといい」
「ありがとうございます」
 しかし、所長の許可がこんなに早く貰えるとは思わなかった。通常ならば、早くでも一週間は待たされると言うのに。
「それだけ期待されているんだ」
「しかし……保護者が何と言うか。それに本人はまだ子供です。協力して貰えるかどうか」
「そこはお前のセールストークの見せ所だ」
「自分は営業向きじゃないですよ」
「コツはベルガーにでも聞いてみろ。あいつの口の上手さは一級品だ」
 バーナー主任はそう言って豪快に笑う。対する俺は苦笑いだ。
「それにしても、同じものが見える……か」
「まだ推測ですが。……視覚連動カメラみたいに、認識してるものが撮影出来れば良いんですけどね。そうすれば、スケッチみたいな絵の才能に頼らなくて済むんですけど」
 俺の愚痴に、バーナー主任はにやりと笑ってラボを指す。
 ガラス一枚隔てた向こうでは、被験者らしき人物がカプセル型のベッドに寝かされている。そのカプセルからは幾本かのケーブルが延びている。頭部だけがシールドに覆われているため、その表情は解らない。
「これは?」
「まあ見ていろ」
 研究員の合図と共に、繋がれたモニターにぼんやりと何かが映る。ぼやけてはいるが、どうやら何かのキャラクターらしい。くるくると動き回っている。
「脳が認識している映像を外部出力する端末だ。技術は確立していたんだが、ようやく動画出力が軌道に乗った。静止画であれば、以前よりも数段はっきりとした画像が得られる」
「凄い……こんな事が出来るなんて」
「知覚画像投影システム……PIPSだ」
 バーナー主任が俺にこれを見せたという事は、恐らくこれを賢者の石の解明に利用するつもりだろう。
 簡易タイプが出来れば、来場者全てのイメージが正しい形で得られる。絵の才能に左右される事も無くなる――バーナー主任はそう語る。
「ユキノという少女とお前の見ているものが同じだとPIPSで証明されれば、これは大きな発見になるぞ」
「最善を尽くします」


 俺がここ、イルミンスールに入るきっかけとなったのは、勿論賢者の石だった。
 石と呼ばれているのに、何故これは箱の形をしているのか。
 子供の頃、周囲の大人にそう問い掛けては怪訝な顔をされていた。
 いつしか「自分は人と違っておかしいのだ」と思うようになり、口に出すことは無くなった。だからと言って見えるものが変わる訳ではない。箱は変わらず、そこに在った。
 来場する度にスケッチは断っていた。変な子だと思われるのが怖かった。
 初めて素直に描いたのは、十九歳になった時。もう周囲の目を気にする必要がない、と吹っ切れた時期だった。
 一人だけ描いた、箱の絵。
 研究者の興味を惹かないはずがない。
 三日後に研究員が俺を訪ねてきた。今の俺と同じ様に来館者記録を調べたのだろう。
「君の才能は将来とても役に立つだろう」
 その研究員は俺にそう言った。
 違うものを見る事が出来るのはおかしい事ではないと、俺の見たものを初めて認めて貰えたのだ。
 俺はカレッジに通いながら、準研究員としてイルミンスールに入った。そこで様々な文献や俺の見えたものを元に研究を始めた。
 スケッチの管理もやっていたが、やはり石の絵ばかりだった。俺の様に他人の目を気にして素直な絵が描けない人も多いだろうな、と何となく思っていた。
 カレッジを卒業し正式な研究員になってからも、石以外の絵や話に触れる事はなかった。
 そう、ユキノに出逢うまでは。
「箱、か。どうしてもパンドラの箱を連想してしまうな」
 バーナー主任がぼそりと呟く。
「だとしたら、開けた途端に世界が滅ぶかもしれませんね」
 柩にも見える箱。
 死んだ神が納められているのかもしれない。

-3-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える