小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 似ている。
 ただこれだけを説明するのに、これ程苦労した事は無い。
 仕分けの終わった資料に一通り目を通した後は、報告書作成に取り掛からねばならない。
 今、俺が書かなければならないのは当然ながら賢者の石について。それと、資料の契約の箱。石版についても何らかの形で意見を述べるべきだろう。
 そうなると、どうしても避けて通れないのが「似ている」という感覚だ。
 あの新造文字と石版の文字、それと、賢者の石と契約の箱。双方の共通点は、何となく「似ている」という感覚だ。根拠のない、ただ「そう感じる」だけの、曖昧な感覚。
 だが、それをどうにか報告書の体裁を整える事が出来れば一つのレポートにはなる。賛否両論となるだろうが、議論の足がかりに出来るだろう。
 しかし、どう表現するべきか。
 取り込んだ画像を並べても、余り説得力は無さそうだ。
「子供の作文でも構わんから、どう似ているか例示してみたらどうだ?」
 見かねたバーナー主任が、助け船を出してくれた。
「例示、ですか……」
 脳裏に閃いたのは、イデア、という言葉。
 イデアは、全てのものの原型とも言うべき概念だ。
 例えば、花。
 バラを見てもユリを見ても、種類はともかく、それらを「花」と認識する事が出来る。
 何故か。
 それは、花という「イデア」を知っているから。
 イデア、つまり原型を知っていれば、それから造られたものは「何のイデアから造られたか」を認識出来る。原作を知っていれば何のパロディかが解る、に似ているかもしれない。
 俺が「文字」と「箱」がそれぞれ似ていると感じるのは、それに対してのイデアを認識していると解釈出来る訳だ。
 とはいえ、この概念は余り主流ではない。哲学や神秘学の分野での基礎学習として扱われているが、廃れた過去の遺物として取り上げられる事が殆どだ。
 そんなものを例示として持ち出して良いものだろうか。
「過去の概念だからって、使えない訳じゃないだろう」
「そりゃあ……そうですけど……」
「使えると思うなら使えって教えなかったか?」
 バーナー主任のポリシーだ。
 どんなに古臭い学説でも、共通項があれば利用する価値はある。基礎講習時代によく言われた台詞だった。
「……解りました、ありがとうございます」
「帰るまでに形にしろ。出来るな」
「やってみます」


 仕分けの終わった資料とイデアについて書かれた学説を並べ、報告書の作成に取り掛かる。
 方向が決まれば、書き終えるのにそう時間はかからない。
 気が付けば、そろそろ夜が明ける時間になっていた。
 いつもは一時間程度の仮眠を取るのだが、今日は全く休んでいない。それなのに、疲れは殆ど無い。集中していたからだろう。
 主任は、少し前に休憩に入った。
 他にも何人か研究員は居るのだが、皆眠そうだ。資料を整理しているのか報告書を整理しているのか、キーボードの音が気怠く響いている。
 廊下や使われていない部屋の照明は落とされているとはいえ、ラボの中は昼間と変わらない。明かりは付けっぱなしで、昼と夜の区別もない。けれども、身体は正直だ。気を抜けば、すぐに睡魔が襲ってくる。
「カノミさん、少し良いですか?」
「どうした?」
「この資料なんですけど……」
 後輩の研究員が俺を呼んでいた。
 眠気を必死で堪えているのだろう。デスクにはコーヒーが置いてあった。
 最初は俺もそうだったな、と懐かしくなる。
 カレッジでの徹夜とは訳が違うのだ。友人と遊んで夜を明かす訳でも、レポートの作成で徹夜するのでもない。仕事として、シフトで決められて、夜通し仕事をするのだ。
 慣れないうちは無駄に力が入ったり、何をして良いのか解らず余計に疲れる事も多かった。後輩の様にコーヒーを飲んで耐えるしかなかった。自分のペースを掴むまで、少なくとも半年はかかった。
 過去の自分を見ているようだった。もう少しの辛抱だ、と心の中で後輩を応援する。
「……後は、逆の見方で分析してみればいい。共通項が見付かれば、それも報告書に書けるからな」
「ありがとうございます。流石ですね」
「慣れさ。それに、俺はまだまだ、全然だよ」
 俺は笑って応え、報告書の作成に戻る。バーナー主任が起きる時間までには仕上げてしまいたい。
 眠気を振り解きながら、資料を読み、文章を組み上げる。
「良かったら、どうぞ」
 さっきの後輩がコーヒーを淹れてくれていた。
 ほろ苦い香りが体中に広がる。
「ありがとう」
 昔は、一緒に騒いでいた連中と「アーリーバードカフェ」だと言いながらよく飲んでいた。早起きではなく、徹夜をして朝になっただけなのだが、それはそれで楽しかった。
(……やけに思い出しちまうな)
 今日だけで色々あった。少し疲れているのだろう。疲れている時程、昔を懐かしむ。俺の癖なのかもしれない。
(もう一息か)
 カップを置き、報告書を書きあげていく。


 イデアの事を書きながら思う。
 魂というものにもイデアがあるとすれば、この賢者の石はイデアを映す鏡なのかもしれない。
 そうだと仮定すれば、契約の箱を見た俺とユキノのイデアは、同じ形をしているのだろう。
『同じだから、こうやって心が繋がっているんだよ』
 PIPSで聞いたユキノの声が蘇る。
 同じイデアを共有しているのならば、同じ魂の持ち主という仮説も成り立ってしまう。
 そんな馬鹿な話が、と否定しきれない。突飛な話だと頭では思っていても、何かが引っ掛かる。
 それが何か、何故そう思うのか、その理由も解らない。
 もう一度、ユキノに会う必要があるだろう。報告書と共に許可を申請しなければならない。
 思考に手先が追い付かないのが、酷くもどかしく感じる。
 焦ってはいけない。そう、理解しているというのに。

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