ユキノと母親が部屋を出たのを見届けて、俺はボイスレコーダーのスイッチを切った。これが役立ったという事は厄介事が増えたとも言える訳で、素直に喜べない。
「何なの、それ」
「ボイスレコーダー」
「見れば解るよ。私が訊きたいのは……」
「何でこんな事をしたのか、だろ。あと、どうしてあの娘に色々訊いたのか……ってところか」
アリシアは押し黙る。
ユキノの状況を目の当たりにしているのだ。薄々理由を察してはいるのだろう。
多分、倫理上の問題だとかプライバシーがどうだとか、そういう話だろう。
「記録は主任の指示さ。それに、あんなユキノを見るのは初めてじゃない。これはさっきみたいな状況を記録する為だ。主任には報告するし、問題は無いはずだ」
主任の指示、という言葉にアリシアは驚きを隠せない。
「初めてじゃないって、どういう事よ?」
「……PIPSの実験の時にもあったんだ。それに、詳しい話は聞けてないが、主任も何か聞いたか察したか。とにかく、どこか普通じゃないんだ」
昨日夜勤で一緒だったのに、バーナー主任から話を聞いていなかった。彼は今日は休みだ。
これの報告を兼ねて、話を聞くのは明日以降になるだろう。
ラボへ入り自分のパソコンを起ち上げる。
本来ならば、俺もバーナー主任と同じく休みだ。ユキノも帰った事だし、部屋へ帰って一眠りする事も出来る。
そうしなかったのは、今のうちに報告をまとめておきたかったからだ。どんな小さな事も書き漏らしたくなかった。
ボイスレコーダーを繋ぎ、データをパソコンへ落とす。
そして音声データをイヤホンで聴きながら、その時のユキノの状況、こちらの心境等を綴っていく。
余程難しい顔をしていたのだろう。同僚達は俺を遠巻きにするだけで、誰も話しかけてこなかった。
俺が見た夢と似ている、と書き出したところで、ようやく端末の存在を思い出す。今朝方記録した俺の夢。
下手な創作と受け取られかねないが、添付資料として必要だ。これのデータもパソコンへ落とす。
今回の出来事が賢者の石と無関係だとは到底思えない。
だが、ユキノはいつからこうだったのか、それが解らない。
以前読んだ資料を思い出す。
幾つかの記録に残っている、前世の記憶を持つ者の存在。
真偽は別としても、今のユキノの状況はそれによく似ている。
(あれが前世の記憶だと?)
有り得ない、と否定する。昔は今よりも文明が発達していて、何らかの原因でその文明が滅んだ、というのは数々の創作で馴染み深い話だ。しかし、それはあくまでも創作だ。実際にそんな事実は確認されていない。
もう一つ浮かんだのは、イデアに関する派生学説、イデアルメモリー論。
検索ボックスを呼び出し、それのデータベースを呼び出す。
全てのものの原型であるイデアには、記憶のイデアもある。そう唱えた異端の学説だ。
前世の記憶は、つまりはイデアの記憶であり、魂がそれと繋がっているからだとしていた。
当然、異端だとすぐに排斥されてしまった。結局短期間しかその学派は活動出来なかったが、影響はかなり大きかった。かなりの期間、イデアルメモリー論が取り上げられていた。
何となく、俺が感じた事に似ている。この学説に当てはめれば、俺とユキノ、そしてアリシアも、同じイデアを共有しているとの仮説が成り立つ。
そう書き上げて気付く。昨日の報告書と同じだ。
そこかしこでイデアの文字が躍っている。
まるでイデアに取り憑かれたみたいだな、と感じる。
あの時は魂にもイデアがあるとしたら、と仮定したが、考え方はイデアルメモリー論と同じなのかもしれない。
「あの、カノミさん」
俺の手が止まったのを見て、同僚がおずおずと話しかけてくる。
「何?」
「何って……今日休みじゃなかったかなと」
「そうだけど、呼び出されたんだ。出るしか無いだろ」
「ああ、さっきの娘さん?」
「そう。その娘に関して報告が必要になったの。だからこうやって休日返上で真面目に仕事してるって訳」
話を続けながらパソコンを操作する。添付資料を確認し、報告書を提出。
とりあえず、一段落。
「これからどうするんです?」
「んー……飯食ってねえし、ここで済ませてから帰るかな」
ステータス画面が提出完了に変わったのを見届け、電源を落とす。
「それじゃ、多分何も無いとは思うけど、何かあったら連絡頼むよ。しばらくは所内に居るからさ」
「あ、勤務時間は?」
「明日修正するよ。どうなるか解らないし」
頼むよ、そう言い置いて俺はラボを後にした。