小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

【Report:5 翠玉の石版】


 朝食には遅く、昼食には早い時間。食堂の人影はまばらだ。
 いつも以上にゆっくりとメニューを選ぶ。後ろから急かされる心配は無い。
 のんびりとした時間。それなのに、俺の気持ちは落ち着かなかった。理由は言うまでもなく、ユキノの事だ。
 初めて出逢った時と今では、ユキノを見る目は全然違う。この気持ちは、怖れと言って良いだろう。
 PIPSの実験を境に、全てが変わってしまったかの様だ。
 まだ一日しか経っていないというのに、事態は余りにも急激に変化している。心身共に参りかけていた。本来なら今日の休みがリフレッシュになるはずなのに、この有様だ。休めなかった上に新展開と来た。
 もう何かの呪いとしか思えない。あのPIPSが騒動を呼び寄せる機械だと言われても、今の俺ならば疑いなく信じるだろう。
「あー……もう疲れた……」
 思わず声に出してしまった。
 調子が良ければ午後から資料の整理をするつもりだったが、帰って寝るべきかもしれない。
「何だ、ケイジ。お前休みじゃなかったのか」
 後ろから肩を叩かれる。振り向くまでもない。ゲオルグだ。
「おう、お疲れ」
「お疲れって、お前のが疲れてるだろうが。どうしたんだ?」
「呼び出しだよ。ったく、俺夜勤明けだぜ? 殆ど寝てねぇよ……」
「大変だな」
「そういうお前は? まだ昼には早いだろ」
「午後から外出るんだよ。だから早めに昼飯済ませようと思ってな」
「へぇ、そいつは忙しいな」
 応じはしたものの、疲れは隠せない。
 そんな俺を見て、いつもなら話し込むゲオルグも今日ばかりは見逃してくれた。
 早く休め、ともう一度肩を叩いて別の席へ移っていった。


 食事で気持ちが緩んだせいか、本格的に眠くなってきた。
 仮眠室で休みたいところだが、設備トラブルがあったらしく使う事が出来なかった。道中が不安だが、気力を振り絞って帰るしかない。
 だが、タイミングの悪い事にまた呼び出しが鳴った。
「……カノミです」
『考古学研究チームのリヴェットと申します』
 予想外の人物に、眠気が飛ぶ。
「お疲れ様です」
『お忙しいところ申し訳ありません。今、よろしいですか?』
「今ですか?」
 何となく嫌な予感がする。多分、すんなりとは終わらないだろう。
『お休みと聞いていましたが、出勤されていると伺いましたもので……。まだ所内に?』
「ええ、まぁ……。そろそろ帰宅するつもりでしたが」
 俺の返答に、リヴェット副主任はしばし黙る。
「お急ぎですか?」
『……そうですね。出来れば、こちらにご足労願えませんか』
 予感は当たった。
「かしこまりました」
 相手は上役だ。大人しく従うしかない。
『ありがとうございます。それでは、十三時に考古学ラボまでお願い致します』
 今はまだ十一時にもなっていない。時間はある。
「あの、副主任」
『何でしょう?』
「その、厚かましいお願いですが、仮眠室をお借り出来ませんか? こちらのラボで少しトラブルがありまして……。話の途中で寝てしまうとまずいですし」
 俺の言葉に、リヴェット副主任は愉快そうに笑って言った。
『構いませんよ。時間になりましたら起こしますので、ごゆっくりどうぞ』
「ありがとうございます」
 二時間弱とはいえ、貴重な休憩だ。疲れ切った頭も身体も休めておきたい。
『それでは、後ほど……』
「かしこまりました」
 しかし、考古学ラボから呼び出しがあるとは思わなかった。誰から俺が来ていると聞いたのか、と考えたところで気付く。アリシアだ。彼女に訊いたのだろう。
 話の内容は賢者の石関係に間違いないだろうが、内容の予測はつかない。何らかの進展があったか、俺に確認したい事があるか、そのどちらかだとは思うのだが。
 考える程に眠気が飛んでいく。
 せっかく仮眠室が借りられるというのに、これでは駄目だ。
 一度思考をリセットする。
 そして向かう先は、考古学ラボの仮眠室。
 今だけは、夢も見ずに眠りたかった。

-28-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える