小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 仮眠室はかなり快適で、五分とせずに眠りに落ちた。
 幸い、何の夢も見なかった。寝覚めが良かったお陰で、考古学ラボの研究員が起こしに来た時も機嫌良く応じられた。
 俺の寝起きが悪い時を想定したのか、起こしに来たのは若い女子研究員だった。
「随分とお疲れの様でしたね」
「まぁ……夜勤明けで、呼び出しがあって。そういえば、副主任も夜勤だったんじゃ?」
「ええ。でも、副主任は結構寝てますから。何かあったら起こしてくれって、そんな感じです。もしかしてカノミさん、寝てないんです?」
「昨日はね。報告書にかかりきりでさ」
「あはは。何か学生さんみたいですね。レポートに間に合わないって」
「そんな感じかな。あの頃は寝なくても全然平気だったんだけどな」
 俺の言葉に、彼女は声を上げて笑っている。
 カレッジを卒業してそれ程経っていないのだろう。どことなく、その立ち居振る舞いに幼さを感じる。年若の女子研究員とはあまり接する機会が無い俺にとって、その仕草は新鮮なものだった。
「それじゃカノミさん、私はこれで。副主任はこちらに居りますので、よろしくお願いしますね」
「解った。案内ありがとう」
「いえいえ。では、また」
 そう言って彼女はひらひらと手を振った。つられて、俺も振り返す。
 と、腰に鋭い痛みが走る。
「可愛い彼女が出来たようね?」
 痛みの理由は、後ろから思い切りつねられているせいだった。
「俺は一途さ。浮気なんてした事無いよ」
 少し戯けて言ってやると、つねる力が一瞬強まった。
「痛い痛い痛い」
「よそ見するからよ」
 両手を挙げて降参の姿勢を取ると、ようやく収まった。
 相手は勿論、アリシア。本気で怒っている訳では無いのだが、タイミングが悪いとこうなる。
「帰ったんじゃなかったの?」
「飯食ったら帰るつもりだったさ。けど、リヴェット副主任から呼び出し喰らって。急ぎって言うから」
「その割にはのんびりしてたみたいだったけど」
「言われた時間まで余裕あったから、仮眠室借りてたんだ。うちのラボ、設備トラブルがあって使えなかったし」
「ああ、なるほどね」
 指定された時間まで、あと少し。アリシアと肩を並べて廊下を歩く。
「さっき……午前の話だけど、良い?」
 アリシアが声を潜め、真剣な顔をする。
「午前? ユキノの事か」
「ええ」
 可愛い子供だと思っていたのが、いきなり引っ繰り返ったのだ。俺でさえ解らない事だらけなのだ。アリシアの混乱はかなりのものだろう。
「ユキノちゃん、私の事をマスターって呼んでたけど……やっぱり全然、心当たり無くって」
「だろうな」
「でも、でもね。その呼ばれ方、何となくだけど、懐かしい気がしたの。そう呼ばれてた気もするなって」
 思わず、アリシアの顔を覗き込む。
「カレッジの時にそういう事やってたのか?何かを仕切ってたり、とか」
「ううん、全然」
「ニックネームみたいな感じで呼ばれたりも?」
「してない」
「そうか……」
 懐かしいという言葉が引っ掛かる。
 ユキノがアリシアを「マスター」と呼んだ時も、懐かしい人を呼ぶ様な感じだった。
 そして、俺が感じる懐かしさ。賢者の石を、箱を見る時に感じる懐かしさ。
 新造文字を見た時の、不自然な懐かしさ。
 どれもこれも既視感とは違う。
 まるで、知らない記憶を思い出すかの様な。
「一応、報告書を作った方が良いだろう。少し気に掛かる」
「幾ら何でも……考え過ぎじゃない?」
「ユキノを見てもそうだと言えるか?」
「それは……」
 アリシアの顔が強張る。やはり、ユキノの豹変は怖かったのだろう。
「ここに来る前に、ユキノの事に関する報告書を書いたんだ。記録も提出する必要があったし、他にも気に掛かる事もあったし。……レコーダーの件は言ったけど、主任の指示だ。主任、何か思うところが有るのかもしれない。嘘だとか簡単に決めつける人じゃないし、な?」
「解った。終わったら、書いてみる」
 ただでさえ気になる事だらけなのに、これ以上厄介な話を聞きたくはないのだが。
(副主任が急ぎって……石版関係か?)
 アリシアだけでは駄目なのだろうが、話が見えない。解釈に対しての意見を聞くつもりだろうか。
 あれこれ考えても仕方がない。会ってみなければ話は進まないのだ。

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