「こんにちは。おや、お揃いですか。カノミさん、ゆっくり休めましたか?」
そう言って微笑むリヴェット副主任には、夜勤の疲れは見られない。研究員が「結構寝ている」と言っていたが、本当かもしれない。
「お陰様で疲れも取れました。ありがとうございました」
「それは何より」
昼間にここのラボに来る機会は殆ど無い。慣れない空気に少し戸惑いを覚える。対するアリシアはよく詰めているせいか、慣れた様子で他の研究員と挨拶を交わしている。
「副主任、その、自分に急ぎの用とは……?」
「あなたにというか、あなた方に、ですね。……テイラーさん、よろしいですか?」
研究員と談笑をしていたアリシアが副主任へ向き直る。
「私もですか?」
「当然です。石版の件ですし」
石版と聞いて、アリシアの顔色が変わる。
「解ったのはこの午前の話です。私自身、震えが止まりませんでしたよ」
副主任が傍らの研究員に目配せをする。ややあって、大型のモニターに石版の画像が映し出された。
別段変わったところは見当たらない。文字も光らなければ、声も聞こえない。
「昨夜もお話させて頂きましたよね……この石版の文字が新造文字に似ていると」
「ええ」
「今朝、プロジェクトチームに頼んで新造文字の全データを貰ってきました。そして、こちらから出向しているメンバーの立ち会いの下、石版の文字と新造文字との照合を行わせて頂きました。……ああ、勿論、そちらのラボには許可を得ているのでご安心を」
俺の懸念を感じたのか、副主任はそう付け足した。
各研究室は協力関係にあるとはいえ、相手の専門分野に深く関わる事項には当然許可が必要だ。その様な場合、上同士で話を付けることが殆どだ。主任クラスは把握していても一般研究員は知らない、なんて事はざらにある。
「何か解ったんですか?」
アリシアが不安そうに問い掛ける。
自分が見たものの事が解るのだ。嬉しさもあるだろうが、不安も大きいのだろう。
「まずはこちらを」
控えていた研究員がコンソールを操作する。
石版の隣に、新造文字が表示される。その文字が、石版と重ねられる。
「同じ文字が無い事は既に解っています。ですので、細部はともかく、何となく似ている文字を当てはめていきました」
石版の文字が白く縁取られる。そのせいで、石版が光っている様だった。
「白くなっているのは該当する……つまり、新造文字と似ているものです。ご覧頂ければ解るかと思いますが、九割以上です」
白く縁取られた文字が、隣のエリアに抽出される。
「幸いというか奇跡的にというか、候補が二つというものはありませんでした」
驚異的な確率だ。これで同じ文字ではない、と言えるのだろうか。
アリシアは画面に釘付けとなっている。息をするのも忘れていそうなくらい、じっと動かない。
「そして、抽出された新造文字を、今の言語に翻訳していきました」
新造文字が、見慣れた言葉に置き換わる。
「文法やニュアンスはまだ再考の余地があるので何とも言えませんが、有る程度は意味の通る文章になりました」
それがこれです、とモニターの表示が切り替わる。
――もう一人の私にこれを託す。
世界樹……の実である賢者の石を。
……、契約の箱を見る彼を見付けて欲しい。
そして、私達の造り出した……を見付けて欲しい。
世界が危険にさらされる時が必ず来る。
いずれ……がやって来る。
そのための剣を、もう一人の私に託す。
私達の悲劇を繰り返させないために。
箱の鍵は……と……の中に、……。
……の恵みを、もう一人の私、……に。――
「現段階で読めるようになったのがこれです。それと、欠けているのは意味の解らない部分です。文章はもう少しあるのですが、解析がまだ追い付いていなくて」
副主任の声が遠くなる。
映し出された文章が、目の奥にじりじりと焼き付けられているかの様だ。
耳の奥で、鼓動が跳ね上がる。
「私がこれを見ているというの……」
アリシアの囁く様な声が、鼓動に紛れる。
立ちすくんだまま動けない。
不安でもない。恐怖でもない。
遠い昔に誰かと交わした約束に似た、やっと出会えた、そんな気分だった。
ずっと探していた相手に会えた嬉しさ。
「これでやっと、約束が果たせる……」
そう耳元で囁いたのは、俺自身の心だったのかもしれない。