小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 届いた訪問許可証には、仰々しい文章が並んでいた。
 イルミンスールは国家機関にあたるため、この書類も公文書に分類される。結構権力のある書類という訳だ。
「で、幼子をナンパしてくる訳か」
「人聞きの悪い事を言うな」
 着慣れない制服が何だか滑稽に見える。いつもはシャツにネクタイ程度で良いのだが、公文書を携えて訪問するならばと制服を引っ張り出してきたのだ。まともに袖を通したのは久しぶりだ。
 企業相手ならば、IDカードで済ませる事も多い。向こうも仕事をしている訳だし、こちらも作業で行くことが多い。
 だが今回は一般家庭だ。いつもの通り、とはいかない。
「そうやっていつも制服着てればいいのに」
「堅苦しいんだよ。シャツもネクタイも支給されたの着てるんだし、問題は無いだろ」
 正直、この制服はかなり目立つ。
 別に変な格好では無いのだが、国家機関を示すエンブレムやらちょっとした装飾は人の目を惹きつける。
「中々様になっているな」
「主任」
「カノミの制服姿は中々見られんからな」
「やめてくださいよ……一般家庭への訪問、初めてなんですよ」
「どういう話をするかは昨日打ち合わせしただろう? 誠心誠意を尽くして協力をお願いする、これが基本だ。いつもの事だろう。……何だ、緊張しているのか?」
「そりゃまぁ……それなりに。企業とは違いますから」
「気楽にいけ。緊張し過ぎると上手くいくものも駄目になる」
「了解です」
 IDカードを端末に通し、外出を選択。戻りは未定。
「いってらっしゃい、気を付けて」
 馴染みの研究員達がにこやかに俺を送り出してくれた。


「あれ? 外に行くの?」
 ラボを出たところで、聞き慣れた声が俺を呼び止める。
「昨日言っただろ。許可が下りたって」
 俺は立ち止まって振り返る。
 そこに居たのは、両腕に資料を抱えた女性。大きな瞳が俺の姿を映している。
 アリシア・テイラー。
 同じラボの同僚だ。そして――俺の大切な人、つまり、恋人でもある。俺達の仲はラボに居る全員が知っている。周知の事実、という奴だ。
「そう言えばそんな事、言ってたっけ……今日だったんだ? だから制服の準備してたのね」
「ああ。暇なら一緒に来るか?」
「冗談言わないでよ。これ見たら解るでしょ」
 アリシアはそう言い、抱えた資料を示す。
「そいつは残念だ」
 俺が大袈裟に落胆してみせると、彼女は愉快そうに笑った。
「帰りは?」
「予定は未定。まあ……相手は企業じゃないからな。そこまで遅くはならないと思う」
「解った。頑張ってね」
「ああ、行って来る」


 情報部で、訪問許可と訪問先住所の最終確認をする。
 来館者の情報は、全てデータベース化されている。入館時に発行されるリストバンド型の入場タグには、データベースに照会をする時に必要な情報が書き込まれている。その中にチケット購入に使われた電子マネーの端末個人情報も有るのだ。通常は入出情報の管理や来場者数の管理に使われるだけだ。だが、迷子や事故等の緊急時や、今回の様に職務上必要な場合には、この情報を元に個人を特定する事が可能だ。お陰で探偵なんぞに頼らずとも、相手の住所から家庭構成まで知ることが出来るのだ。プライバシーなど関係ない。少しだけ後ろめたい気分になる。
(だからこそ色々と手続きが面倒なんだがな……)
 許可申請コードと登録コードの合致を確認。対象者の情報が表示される。
 行き先はユキノの家。フルネームは、ユキノ・サラシナ。
「父親はミカエル・サラシナ、母親はジュリ・サラシナ……一人娘か」
 基本データを携帯端末に移し、研究所を出た。
 ユキノの家までは距離がある。バーナー主任は送迎車両まで準備してくれていた。
「すまないな……って、ゲオルグか」
「おう、少し手が空いててな」
 送迎車両に乗っていたのはゲオルグ・ベルガーだった。彼は同期の友人だ。所属している部署が違うが、何かと顔を合わせる機会は多い。入った時からの付き合いだから、かなり長い。こういう時には有り難い存在だ。
「訪問に付き合ってくれるのか?」
 ナビに携帯端末から地図情報を転送する。それを確認して、ゲオルグがエンジンを始動させる。
「まさか。担当はお前だろ。俺は単なる運転手だよ」
 緊張をほぐしてやるだけでも有り難く思え、とゲオルグは笑う。
「ちぇ。俺、セールストーク苦手なんだよ」
「相手は企業じゃないんだ。真面目にしっかり説明すれば納得してくれるだろ」
「主任も同じ事言ってたな」
「そうかい。ま、それが基本だからな」
 次を左です、と抑揚の無い声でナビが喋る。
 ゲオルグは対外交渉部に所属している。やっている事は広報活動だったり、企業に対しての協力要請だったり、各方面の調整だったりと多岐にわたる。精神的にも負担が大きいだろうし、上手に話せなければ務まらない。臨時の学芸員レベルの説明が関の山の俺には絶対に出来ない仕事だ。
「相手は一般家庭だぜ。しかも子供に協力して貰わなきゃならないんだ」
「へぇ。あの賢者の石とやらの研究も大変なんだな」
「まあな」
 だが、協力を得られれば研究が進む可能性が高いのだ。失敗は出来ない。
「胃が痛いぜ」
「しっかりしろよ」
 車は住宅街に入っていった。もうすぐ学校の終わる時間帯になる。
「約束は何時だ?」
「十六時」
「じゃ、そろそろ良い時間だな」
 訪問の目的は前もって電話で告げてある。勿論、ユキノに会う事が目的だ、という事も。当然ながら両親は訝しんでいたが、俺が国家機関の人間だからだろう。訪問を承諾してくれた。顔を見るなり追い出されるという事は無いはずだ。
「終わったら連絡してくれ。迎えに行くから」
「了解」
 ゲオルグの車が小さくなる。
 さて、と一つ深呼吸。指先がインターホンを押した。

-4-
Copyright ©bard All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える