小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 夕食を終えてゆっくりしているところに、同僚からメールが届いた。
「どうしたの?」
 アリシアが食洗機のスイッチを入れたのだろう。低くモーターの稼働する音が聞こえる。
「ラボからだ。今日は出勤扱い。明日改めて休みにしたってさ」
 ユキノの相手に、考古学ラボの呼び出し。いつもより早く帰れたとはいえ、普通に仕事をしていたのと変わりない。流石に明日は何もないだろう。今度こそ、ゆっくり眠れる。
「私も明日休みなのよ」
 そうでもなかった。
 休みが合えば、二人してどこかへ出掛けている。休みが同じ日になったのは久しぶりだ。最近行ってなかった分、色々行きたいところがあるはずだ。
「ああ、でも、ケイジは疲れてるよね」
 今日のゴタゴタを思い出したからか、アリシアは少し考え込む。と言っても、答えは大体解っている。
「午後からで良いなら」
 俺はそう言ってやる。
「良いの?」
 遠慮がちな声とは裏腹に、表情はかなり明るい。俺がそう言う事を期待していたのだろう。
「行きたいとこ、あるんだろ?」
「うん、ちょっとね」
 アリシアの「ちょっと」は、普通で言う「かなり」に相当する。朝から出掛けても丸一日だ。午後からならいつ帰れるのか、予想すら出来ない。
「……解ったよ。夕飯は外になるな」
「そうね。けど、すぐ帰るよ」
「どうだか。日付変わるまでに帰れたら良いとこだ」
 俺は意地悪く言って笑う。アリシアもつられて笑った。
 久々に味わうのんびりした時間。
 無事に過ごせる事を、心から祈っていた。


 アリシアの右手、薬指。
 そこにはめられている指輪。小さな羽根をあしらった、銀色の指輪。今ではもう見なくなったデザイン。
 付き合い始めて間もない頃に俺が贈ったものだ。偶然見付けたものだった。アリシアに似合いそうな、シンプルだけど綺麗な指輪だった。ラッピングを頼むのが気恥ずかしくて、店員に聞かれるまで言い出せなかった。
 俺が初めて、彼女に贈ったプレゼントだった。
 かなり喜んでくれたのを今でもはっきりと覚えている。指輪はそれ以来ずっと、彼女の薬指にはめられている。
「何? 指輪なんか眺めちゃって」
 アリシアは笑って、手を引っ込めた。
 指輪には細かな傷がある。ずっと身に付けているから仕方のない事ではある。
 薄明かりにかざすと、その傷が柔らかな光を放つ。その傷も、既に指輪の一部になりつつあるのかもしれない。
「そろそろ、新しいのを見に行かないとな」
「指輪? ……いらないよ。これ、気に入ってるし」
「そう言う訳にもいかないだろ?」
「んー……ケイジに任せる」
 そう言って、アリシアが指を絡ませる。
「任せるって言われても……あぁ、それじゃ、明日見に行くか」
 絡んだ指を握り返す。ひやりとした、指輪の感触。
「ついで、で良いよ」
 気怠い声。
 俺に遠慮しているのか、彼女は決まってこう言う。
「じゃ、決まり」
 だから俺は、少し強引に決めてやる。
「無理しなくても良いのに」
 そう呟くアリシアの声が、心なしか嬉しそうだった。

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