【Report:6 浸蝕夢】
指輪なんて、もう時代遅れの慣習かもしれないな。
そう呟く男の声は、どこか照れくさそうだった。
彼の手には小箱。プレゼント用なのだろう。可愛らしいリボンが結ばれていた。
そんな事無い、と応じる女の声もまた、照れているらしかった。しかし、男とは違い、嬉しそうな声だ。
女の指がリボンを解く。
輝くのは、薄青色の輝石。小さいが、上品な光を湛えている。
「でも、ケイジ……どうして急に?」
女が怪訝な声で訊く。
「どうなるか解らないからな。渡せる時に、渡しておかないと」
「不吉な事を……!」
今にも泣きそうな声で彼女は言う。
すがりつく身体を、彼は愛おしそうに抱き締める。
「覚悟が必要なんだ。解るだろ、アリシア。俺はもう……」
「そんなの、聞きたくない、聞きたくないよ!」
彼女は泣いていた。
言ってしまえばそうなる事は解っていたのだ。それは勿論、彼女も同じだ。口にする事を避けていても、変えられない運命。
残された時間は少ないのだ。
「私だってどうなるか解らない。ケイジより先に……ううん、それは他の皆だって同じよ」
「あれはその為のものだろう? ……目処は?」
「もうすぐよ。完成したら、例え全てが終わったとしても、繋ぐ事は出来るわ」
彼らが希望としているもの。
本当は、絶望かもしれない。
警報が鳴り響く。
〈全戦闘員は至急配置に付け。繰り返す……〉
放送が彼らを急き立てる。
「ケイジ……」
「何としてでも守り抜く。だから、頼んだぞ!」
「ケイジ」と呼ばれた男を、俺は懐かしい思いで眺めていた。
彼がアリシアを想う気持ちが、自分の事の様に理解出来る。
これは昨日、いや、今朝の夢と繋がっている。今朝の夢で撃墜された彼の、恐らくは撃墜される前の出来事なのだろう。
今見ているものは夢だ、と解る。以前の様にリアルな感覚は無い。
けれど、何故。
夢の中で夢を思い出す。
あの時彼らが必死で守っていたもの。「アリシア」と呼ばれた女が完成させようとしていたものだろう。
それは一体何なのか。
答えを知るのが怖い。この夢が、現実になりそうな気がしてならない。
解っているはず、と声が呼びかける。それは、俺自身の声。
いや、俺ではなく彼の、「ケイジ」の声だ。
「あれは希望だ。俺達が繋いだ、唯一の」
勝手な事を言うな、と姿無き声に叫ぶ。周囲は闇に閉ざされていた。何も見えない。何も感じない。
それでも俺は叫ぶ。
お前達の希望なんか知った事じゃない。そんなものを勝手に押し付けるな、と。
そんな俺の思いを知ってか知らずか「ケイジ」は繰り返す。
「解っているはずだ。もうすぐ思い出す。彼女も、もうすぐ解るはずだ」
彼女。恐らく、アリシアの事だろう。
アリシアの事を気安く呼ぶなと怒りを覚える。
「……同じなのに? 俺とアリシアが同じ様に、君達二人も同じだというのに?」
何が同じだ、と声を荒げる。
「俺は君、君は俺。君は俺の……いや、俺達の可能性の一つ」
だから鍵を、と声は続ける。
「鍵を開けてくれ。何よりも、君達の世界の為に。悲劇を繰り返さないでくれ」
その言葉には聞き覚えがあった。石版に書かれた言葉だ。
こんな下らない夢の中にまで出てくるとは、思ったよりも衝撃を受けていたらしい。
「夢? 君はまだ、これを夢だと思っているのかい?」
あいつが笑う。呆れた様な笑いだ。
「鍵は君の中にある。気付け。そして、自覚するんだ」
嫌な気分で目が覚めた。
まだ真夜中、午前二時。
「ケイジ」の声が耳について離れない。俺であって俺でない、嫌な感覚だ。
寝返りを打つ。
「……!」
アリシアと、目が合った。
心臓が止まりそうになる。
「なっ……何だ……起こしたか?」
「ううん、目が覚めちゃって」
消え入りそうな声でそう言うと、アリシアは俺の胸に顔を埋める。
「ねえ」
「どうした」
「夢にもう一人の私が出て来たって言ったら…ケイジは笑う?」
「……何?」
「ゲームみたいな世界でさ。そこに居たんだ、私」
俺は黙ってアリシアの言葉を待つ。
「そこで、ケイジから指輪貰ってね。……変なの。指輪の話、したからかな」
そう笑うアリシアの声は、何かに怯えている様だった。