小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 アリシアがはっと息を飲むのが伝わってくる。
「個人的な事をどうこう言うつもりは無いけれど……君達は、その……」
「ご推察の通りで、結構長い付き合いです」
 忍び笑いが聞こえる。周知の事実とはいえ、こう言った場で表明するのは初めての事だ。わざわざ言う話でも無いので、当然と言えば当然なのだが。
「ええと、その……この件につきましては、主任は勿論の事、本人にも伝えていないのですが」
 夢でも恋人同士という事で述べるのはかなり恥ずかしかったが、努めて淡々と述べる。
「確認させて頂きますが……テイラーさん。カノミさんのお話とあなたの夢、同じものですか?」
「はい」
 リヴェット副主任の問いに、アリシアが震える声で答える。
 その答えを確認し、俺は話を続ける。
「ユキノ・サラシナの件に戻りますが、彼女の話にもテイラーの事が出て来ています。しかもテイラーの事を、マスター、と呼んでいる。この事から私は、私達の夢やPIPSの件と何らかの関係が有るのではないか、と考えます」
「関連ね……それがあの、前世やらイデアルメモリー論やらって事か?」
「非科学的である事は承知しております」
 そして付け加える。
「我々の間で、意識や夢の共有が行われている……私はそう感じています。共通項は賢者の石でしょう。テイラーの見た石版に書かれている文。そこに、もう一人の私、とあります。ユキノ・サラシナに関しては解りませんが、少なくとも我々二人は、それに該当する夢を見ています。イデアルメモリー論にある記憶のイデアに類する何かが影響しているのではないかと……。かなり非科学的でオカルトじみているのは重々承知しております」
 しん、と嫌な沈黙が場を包む。
 突飛な理論だと自覚している。だが、それ以外に説明する言葉が無いのだ。
 司会進行役のリヴェット副主任も、この沈黙を持て余している様だった。意見を求めようにも、誰を指名して良いのか解らない、そんな感じだ。
「分野は違うけど」
 沈黙を破ったのは、文字開発チームのメンバーだった。
「物理学で……ああ、申し遅れた。自分はバイルシュタイン。オルゲルト・バイルシュタイン。専門は論理学。思考の繋がりって方面から文字の開発に携わっているのだけど……って今は関係無いな。申し訳ない」
 バイルシュタインはメンバーを見回す。どことなく愛嬌のある人物だ。彼のお陰か、場の雰囲気が少し和らぐ。
「パラレルワールドって単語は、皆知ってると思う。創作でお馴染みの、この時空から分岐して出来た並行時空って奴だ。そのイメージが強いから非科学的って言われてるが、物理学でも可能性が論じられる事がある」
そう言いながら、バイルシュタインがパソコンを操作する。
 画面には、彼の言うパラレルワールドにまつわる論文が、タイトルだけではあるが幾つか表示されている。ここに所属していた研究員の手で書かれたものらしい。かなり著名な研究者の名前も有る。
「ざっと調べただけでこれだけある。中身は気になったら各自で調べて欲しい。つまり、パラレルワールド……言葉が軽いから並行時空と呼ぶが、その可能性は有り得るって話だ。主流では無いが、イデアルメモリー論に出てくる記憶のイデアも、並行時空を述べたものだという学説も存在している」
 並んだタイトルの幾つかが赤くなる。それが、該当する学説なのだろう。
「要するに、そのお二方の夢も石版の文も、並行時空が絡んでいると考えれば辻褄が合う」
「しかし、余りにも飛躍し過ぎでは?」
「そういう考え方も有るって事だ。取っ掛かりにはなるだろう」
 バイルシュタインは曰くありげに笑う。
「大変参考になった。こちらのラボでも、その方面からのアプローチを検討してみよう」
 バーナー主任が応じ、リヴェット副主任に視線を向ける。
 それを議論の終了と判断したのか、彼は協議の一時中断を告げる。
「そろそろランチタイムですし、缶詰も良くありませんからね。再開は十三時で。遅れない様にお願いします」


 会議室から出たところでバーナー主任を呼び止める。
「どうした、カノミ」
「前に聞きそびれたので……。ユキノ・サラシナの件です。あの、会話の録音の指示を頂いた時の事です。主任も何かを聞いていたのではないかと思いまして」
「その事か」
 バーナー主任の顔が曇る。余り思い出したくないのかもしれない。
「あの娘、こっちを見て言ったんだよ。隊長だ、とな。自分は主任で隊長ではないと説明したんだが、隊長だと言い張って譲らなかった。お前の報告書に添付されていた音声と同じ雰囲気だった」
 刺す様な声。
 抉る様な言葉。
 子供らしさが微塵も感じられない雰囲気。
 思い出したくないのも無理からぬ話だ。
「ちなみに主任、夢は……?」
「夢? ああ、さっきの話か。そんなのは見てないな」
 それよりも、と主任が俺の背後に目をやる。
「フォロー、しっかりしてやれよ」
 そこに居たのはアリシアだった。
 夢の話が衝撃的だったのか、それとも議論に疲れたのか、どこかぼんやりとした顔をしていた。
「最善を……尽くしますよ」
 そう応じる俺の声もまた、ぼんやりとしたものだった。

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