どうして、とアリシアが呟く。
どうして教えてくれなかったのか、と。
「同じ夢を見てたなんて、一言も言ってなかったじゃない」
責める様な声ではなかった。茫洋とした、心ここに在らずという風だ。
「……悪かったよ。でもそんな事、言える訳無いだろ」
俺の見た夢の続きがあの戦闘ならば、俺はあの後死ぬ事になる。そして恐らく、そうなる前にアリシアは……。
夢とはいえ、リアルに感じた恐怖感。死への恐怖そのもの。
「あんな夢見たの、初めてか?」
「え? ええ、そうよ」
「そうか……」
だとすれば、あの後自分の身に何が起こるのか、アリシアは知らないのだろう。或いは、もうすぐ知る事となるのか。
たかが夢、されど夢。
「……協議はまだ続くんだ。とりあえず、飯喰いに行こう」
午後からは、文字開発に関する話がされる予定だ。新造文字が今の形になった経緯や作成方法が発表される。 アリシアの見た石版の文字と合致した理由、それが解るかもしれない。これから解析を進める上で大きな手がかりになるはずだ。
それに集中する為にも、気分転換が必要だ。
他のメンバーはとっくに食堂に出掛けたらしい。廊下に居るのは、俺達とバーナー主任。少し離れて端末で何かを話しているらしいが、大方俺達の様子が気になって残っていたのだろう。
「そういえばさ」
「何?」
「文字開発の人としか話していないんだけど、あの人達って統一言語開発プロジェクトの一部門よね?」
「そうだっけ」
アリシアに言われて思い返してみる。
そういえば、最初に見たプロジェクトの名前が、統一言語となっていた気がする。言語開発に必要なのは文字以外にも色々あるのだろうが。
「広報とか解析とかやってるんだろうな。けど、用事があるのは文字の方だけだしなぁ」
プロジェクト外で関わっている俺達にとっての認識はその程度である。
当人達には不本意な事かもしれないが。
〈緊急事態発生。緊急事態発生〉
耳をつんざく様なサイレンとオペレーターの声。
〈全警備員は速やかに戦闘態勢へ移行せよ〉
「せっ……戦闘だって!?」
こんな放送は今まで聞いた事が無い。
警備員が武装をしている事は知っている。だがそれはセキュリティや警備上の必要であって、戦闘をするものではない。来館者や研究員の安全を守る為のものだ。
それが、何故。
「カノミ!」
「主任? 一体何ですか、これは!」
「解らん。だが……」
端末が鳴る。ラボからだ。
「そっちは大丈夫なのか?」
『その事で……うわぁぁぁあああ!』
声が爆音で聞こえなくなる。
「無事か? おい! 返事しろ!」
通信途絶。
端末が壊れてしまったのか、或いは声の主が……。考えたくは無いが、最悪の事態が脳裏をよぎる。
「主任……ラボがやられたらしいです。通信が切れました」
「何だと?」
〈所属不明の侵入者は、B42研究室、及び博物館を目標としている模様〉
オペレーターの声もそれを告げていた。
微かに聞こえるのは、警備員が発砲している音だろうか。
この会議室はラボとはかなり離れている。それなのに。
「カノミ、護身用の銃は?」
「協議にそんなもの持ってきてる訳ないでしょう」
アリシアを俺の後ろに庇いながら応える。
「だからお前は駄目なんだ。……ほら、使え」
バーナー主任が俺に銃と予備の弾倉を渡す。
「主任のは?」
「いつも二丁持ち歩いているからな」
そう言ってバーナー主任は銃を掲げる。
「何で二つも」
「故障した時の予備だ。お前も次から二丁持っとけ」
戦闘とは無縁なはずの研究員が、何故予備も含めて銃を持ち歩いているのか。疑問は残るが、そんな事を気にしている場合ではない。手早くチェックを済ませ、予備の弾倉をベルトに差し込む。
「弾は暴徒鎮圧用の麻酔弾だ。殺傷能力は低いが、足止めくらいには……」
「解ってます。撃って当たれば……!」
銃を構え、周囲を警戒する。
近付く気配。
「でも何でラボと博物館が……?」
「賢者の石がでっかい宝石に見えたんだろうよ」
バーナー主任が呻く。
今までにも数回、そんな騒ぎがあった。
触る事も出来ない宝石を奪おうとする連中は後を絶たない。
幸いな事に、いずれのケースもすぐに鎮圧され、大事件になった事は無かった。
だが、今回の侵入者は違う気がする。
賢者の石という「宝石」が目当てならば、俺達のラボを襲う必要は無い。しかしあの通信の様子から察するに、しっかりと標的にされていたのだ。
ラボに居た研究員の無事を祈る。
アリシアが端末を操作してラボを呼び出すが、一向に繋がらない。
気付けば、けたたましいサイレンもオペレーターの声も聞こえなくなっていた。一定時間で切れる様になっているのだろうか。
そうだとしても、何かがおかしい。
「ケイジ!」
「何だ」
「他の端末もナビも繋がらない……ネットが切られてる!」
「嘘だろ!?」
バーナー主任も声を失う。
ただの物盗りなんかじゃない。組織的な……そう、テロリストだ。
通信網が完全に切られる事はまず有り得ない。十重二十重に設けられたバックアップまで切るなど、普通では考えられない。
「どうすりゃいいんだ……」
パニックになりそうな頭を、必死で落ち着かせる。
命の危険を感じたのは初めてだ。こんな緊急事態に陥った事など、一度も無い。
解らない。
このままだと、殺される。
夢よりもリアルな死の恐怖。
身の震えを抑えるのがやっとだ。
「カノミ」
「……」
「カノミ!」
「……あ、はい!」
「しっかりしろ! 死にたいのか!」
バーナー主任の怒声に我に返る。
「ラボの連中も気がかりだが、まずは逃げる事が先だ。非常用通路から外へ出る」
「道は解るんですか?」
「大体な。着いて来い!」
俺はアリシアの手を引き、主任の後を追った。