小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 インターホンの応対に出たのは母親のジュリ・サラシナだった。備え付けのカメラにIDを提示し、名乗る。ややあって、ロックの外れる音。中へと入る。
 家にユキノの姿はない。
 ジュリは早々にキッチンへ消え、俺は父親のミカエル・サラシナと話をする事になった。
 一応訪問の目的は告げている。ある程度構えているはずだ。
「お忙しいところ申し訳ございません。私は国立総合研究所のケイジ・カノミと申します」
「国立総合……イルミンスール、ですか。そこの方が、一体何の用件で?」
「ご連絡差し上げた時にもお話させて頂きましたが、先日博物館へご来館頂いた時の事で……」
「その事で、何か?」
「ええ……。私は博物館に展示している、賢者の石と呼ばれる資料の研究をしております。ご存じの通り、一般の方にも公開しており、ご提供頂いたスケッチなどを研究材料として使用させて頂いています」
 賢者の石について、改めて説明をする。
 如何なる方法でも分析が出来ない事、見る人によって姿形が全く違う事……ナレーションや学芸員の説明を掻い摘んだ形だ。
「恐れ入りますが、ご主人にはどのようなものが見えましたか?」
「家内もそうですが、我々には何も見えませんでした」
「左様ですか……。いえ、その様に仰る方も多いですよ。時折、空箱を展示するなとクレームが入るくらいですから」
 俺の言葉に、ミカエルの顔が緩む。互いの緊張が少しほぐれてきたようだ。
 本題はこれからだ。
「便宜上、我々はそれを賢者の石と呼んでおります。というのも、石と仰る方ばかりでして、今まで石以外を見た者が居なかったのです。ですが……」
「ただいまぁー!」
 俺の説明を遮るように、元気の良い声が響く。ユキノだ。
「おかえり、ユキノ」
 ジュリがキッチンから顔を出す。紅茶を淹れてくれているのか、暖かな香りがする。
「あのねあのね……!」
 何かを言いかけた唇が、驚きの形に変わる。
「こんにちは、ユキノちゃん」
 出来るだけ穏やかに、怯えさせないように話しかける。
 だが、ユキノは驚いたまま動かない。
「ほらユキノ、お兄さんにご挨拶しなさい」
 ミカエルに促され、ユキノはぎこちなく頭を下げる。
「あっ……こ、こんにちは」
 我に返ったのか、ユキノに明るさが戻る。
「さ、ミルクティー作ってあげるから、手を洗ってきなさい」
 母親の声に応じる姿は、どこにでも居る普通の女の子だ。
 だが、彼女は……。
「それで……その賢者の石と私達と、一体何の関係が?」
 ユキノが部屋を出るのを見計らって、ミカエルが話を繋ぐ。
「……お宅の娘さんは、あの賢者の石が見えていました」
 ミカエルは訝しげな表情だ。紅茶を淹れてくれたジュリも、ミカエルの隣に腰掛け、続きを待っている。
「しかも、石ではなく、箱だと言っていました」
「それが何か?」
「娘さんと同じ箱を見た者がもう一人居りまして、恐らくその者と娘さんは同じものを見ている可能性が有ります。同じものを、しかも石以外のものを見たという前例は有りません」
 一瞬の沈黙。ユキノはまだ戻らない。
「私は、娘さん……いえ、ユキノさんに協力して頂きたいのです。この、賢者の石の研究に……」
「ユキノに……」
 遠慮がちにドアが開き、ユキノが顔を出す。今の話を聞いていたのかもしれない。
「勿論、すぐにとは言いません」
 ミカエルは俺の言葉を聞いていないようだった。かなり悩んでいるのだろう。もしかしたら、怪しい人体実験を行うと思われているのかもしれない。
「あの……」
「ユキノ、こっちへ来なさい」
 ユキノは大人しく椅子に腰掛けた。ミカエルはゆっくりと話す。
「この前、一緒に博物館へ行ったね」
「うん」
「賢者の石っていうケースの中に、何が有ったか覚えているかな?」
「石じゃないよ。箱があった」
「……本当かい?」
「本当だよ! パパには見えなかったの?」
 ミカエルは曖昧に微笑む。
 俺は黙って親子のやり取りを眺める。
「このお兄さんは、ユキノの見た箱を一生懸命調べているんだ」
「お兄さんは知ってる。博物館でお話したもん」
「それで、ユキノにも一緒に調べて欲しいんだって」
「あたしに?」
 ふっとユキノが俺を見る。子供らしい無垢な瞳。水晶のように透き通った瞳だ。
「いいよ。面白そう!」
 ユキノはそう言って無邪気に笑う。
 ミカエルが俺を見てうなずく。
「……よろしいのですか?」
「この子がやりたいと言うのなら、やらせてあげるつもりでした」
「ご協力、感謝致します」
 こちらに承諾のサインを、と書類を差し出す。
 サインをする父親の隣で、ユキノはにこにこと笑っていた。


「うまくいったみたいだな」
「解るか」
 迎えに来たゲオルグがにやりと笑った。
「相手のお嬢ちゃんは……可愛いじゃないか。年頃になったら美人になるぞ」
 携帯端末には彼女の写真。ユキノが俺の持つ端末に興味を示し、せがまれて一枚撮影したのだ。
 とびっきりの笑顔で写る彼女。今年十歳になったばかりだ。
 そんな幼い彼女と俺が、全く同じものを見ている。育った環境も何もかも違うというのに。
「忙しくなりそうだ……」
 それでも、賢者の石の研究が進む可能性がある。ユキノは間違いなく、その鍵になるのだ。

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