小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 夜は苦手だ。
 何もかもを飲み込む様な暗闇。「生」を嫌でも感じさせる。そして、それと隣り合わせの「死」も。
 小さい頃は、それが訳の解らぬ得体の知れない幽霊みたいに思えて酷く怯えたものだった。この年になってからはさすがにそんなものを信じる事は無くなったが、それでも時折、得体の知れないものの様に感じる事がある。
「……ん」
「起きたか」
「今、何時?」
「二時半を過ぎたとこだ」
「……そう」
 アリシアの少し汗ばんだ身体が俺の腕に絡みつく。
 ユキノとは違う、生々しい感触。最初は、それに触れるのが怖かった。自分と相手との境目が曖昧になる様で、違う何かに触れる様で。
 純粋だったんだろうな、と思う。
 何も感じなくなったのは、別に汚れているとは思わない。大人になったのだと思う。
「考え事?」
「別に……大したことじゃないさ」
 ルームライトはオフ、パソコンや空調の小さなライト以外は何の明かりも見えない。だからこそ、隣に居る彼女の存在がとても生々しい。互いの顔さえ見えない暗闇。相手の存在を、手探りで確かめる。
「ユキノちゃん、だっけ?」
「ああ……協力して貰う事になったよ」
「そう。ケイジと同じものが見えるんだっけ」
「何だ、妬いてるのか? アリシアらしくもない」
 俺はアリシアの髪を撫でながら、少し意地悪く聞いてやる。
「少しね……羨ましいなって」
「羨ましい? ユキノが?」
「私には箱なんて見えないもの。ケイジと同じもの、見たかったわ」
 アリシアの頭が俺の胸に乗る。鼓動を聞いているのか、彼女は俺の上でじっと伏せている。
 その彼女の鼓動が聞こえてきそうなのは、多分何も見えないからだろう。「生」と「死」の境目が曖昧だからこそ、そこにある「生」を必死で感じ取ろうとしているのかもしれない。
 本能、というものか。或いは魂、か。
 もしも本能……いや、魂が賢者の石の形を感じ取ろうとしているのならば、人によって見えるものが違うのは当然だろう。個々人の魂の形ならば、一つとして同じにはならないはずだ。
 だとすれば、ユキノは俺と同じ心を持っている事になる。
(まさか。そんな事は……有り得ない)
 箱の形や鍵穴の存在、それは俺が見ているものと同じだ。だが、それは特徴が同じなだけであって、完全に同じものでは無いかもしれない。
(そのためのPIPSか)
 バーナー主任の言葉を思い出す。
 PIPSの起動テスト。それを、俺とユキノで行うのだという。あれを見てからそう時間は経っていない。まさか、こんなにも早く使う事になるとは思わなかった。
 テストは明日の午後。勿論、俺の交渉が上手く行く前提で組まれた日程だった。しかし、余りにも急な話だ。理解の有る相手だったから良かったものの、急ぎすぎではないか――。
 勿論、俺の意見が通る訳が無かった。PIPS開発部にとってもこちらにとっても、このテストは大きな意味を持つ。可能な限り早くデータが欲しいのだ。それが上層部の意向なのだ、そうバーナー主任は俺に言った。
 こちらの、いわゆる大人の事情くらい、俺にだって解る。
 だが民間の、しかも一般の家庭に協力を求める態度では無いと納得出来ないのも事実だ。それに、機器の調整は問題無いのか。本当に俺の、そしてユキノの見たものが反映されるのか。
 とにかく、明日のテストで全てはっきりする。そこで考えるのを止めた。
「ケイジ」
「何?」
「明日、休みだっけ?」
「いや……午後から出勤さ」
「ユキノちゃんのお迎え?」
「ああ。けど……やけに気にするな?」
「ケイジがあの子にかかりきりになっちゃうのが、ちょっとね」
 身を起こした彼女が、そっと俺に頬を寄せる。
「馬鹿な事を。相手は子供だぜ。それとも、俺が手を出すと?」
「ふふ……あの子が惚れちゃうかも。久々の制服姿、格好良かったよ」
「じゃ、たまには着てくるかな」
 俺は笑い、少し冷えた彼女の背中に腕を回した。


 賢者の石の研究チームは、俺と同じくイルミンスールから声をかけられたメンバーが殆どだ。
 人と違うものを見て、人と違うものを感じる。
 アリシアも同じだった。
 彼女の場合、小さな石版らしきものを見たという。
 他と同じ石でありながら、全く違う形の石。そこにイルミンスールは目を付けたのだろう。
 彼女も俺と同じくらいの時期に、準研究員としてイルミンスールに入った。
 人と違う事が怖かった、とアリシアは言っていた。俺と、同じだったのだ。
「ケイジ……」
 彼女の指先が俺の髪に絡まる。
 年齢も変わらないアリシアとは一緒に調べ物をする事も多く、すぐに親しくなった。こういう関係になるまでには、それほど時間もかからなかった。もう何年の付き合いになるだろう。
 関係が周囲に知られた時、俺達はバーナー主任に呼ばれた。
 プライベートには立ち入りたくないが、と前置きをした上で、君達はまだ賢者の石が見えるのかと問われた。数ある伝説では、特殊な力を手に入れ、また維持するためには、純潔であることが求められるのだと言う。賢者の石もある種伝説に似た存在であるため、バーナー主任はそれが見えなくなる事を懸念していたのだ。
 そしてその対象が殆どの場合女性であるため、アリシアの喪失を恐れたのだろう。
 幸いなことにアリシアはまだ石版が見えているし、俺も変わらず箱が見えている。バーナー主任の話は杞憂に終わった、という訳だ。
「ケイジ……っ」
 背中に爪が食い込む。
 アリシアは時間を見付けては賢者の石を観察しに行き、そこに書かれている文字の解読を行っている。少なくとも現代の文字では無いため、考古学のラボと共同で行っている。残念ながら、あまり進展は無いようだが。あのPIPSが使えるのであれば、きっと彼女の役に立つだろう。
 そう言えば、明日の起動テストはどうするのだろう。対象者としては挙がっていないのだが、立ち会いはするのだろうか。
 ここまで考えたところで、俺に限界が来た。思索を脳の隅へ追いやり、身体を支配する感覚に全てを任せる。
「ケイジ……!」
 アリシアの指先がシーツを握り締めている。その手のひらを掴み、指を絡ませる。
 吐息を絡ませた声が、切ない声で俺を呼んでいた。

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