小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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  起きた時には、もうアリシアは出勤した後だった。
 テーブルには軽い朝食。それと、アリシアの勤務予定表。PIPS起動テストには立ち会って貰えないらしい。シフトがそうなっているのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、少し残念に思う。
 用意してくれた朝食を食べながら、今日のニュースにざっと目を通す。
 ところどころ物騒なニュースが目に付くが、職場絡みでは目新しいニュースは無かった。あとは、顔も知らないアイドルのスキャンダル。ニュースを消そうとして、ふと気付く。
 今日はユキノが来るのだ。当然、それの送迎は俺の役目だ。何かしら話題が無ければ辛い。
 子供達は今、どんな話題に興味があるのだろう。やはり形だけでも、アイドル絡みは抑えておくべきだろうか。
 アリシアに聞いておくべきだったな、と後悔する。彼女なら、そういった話題にも詳しいはずだ。とりあえず流行っている曲のランキングを調べ、幾つかをピックアップして端末にダウンロードしておく。ユキノが聞くかどうかは解らないが、緊張をほぐすには使えるだろう。アリシアも聞くかもしれない。
 ダウンロードと関連情報のチェックが終わるまで、紅茶を飲みながら待つ。
 棚には、二人分の食器。カレッジを卒業した辺りから増えていった。
 研究員には寮が割り当てられている。アリシアも本来は別の部屋だ。たが、最近はこうやって俺の部屋で過ごす事が多く、自分の部屋に帰る事の方が少ない。
「こっちに引っ越す?」
 いつだったか、俺はアリシアにそう聞いたことがある。
「殆ど帰ってないんだ、部屋代勿体ないだろ。天引きなんだし」
「んー……私物も多いし」
「俺の部屋独身寮扱いだけど、本当は家族持ちが住む部屋だぜ? お前の私物くらい、どうってこと無いと思うけど?」
「そうね……使ってないクローゼットとか使わせてくれるなら、考えようかな」
「検討してくれ」
 あの時、俺は何となくそう言った。だが、同棲をしようと言っているのと同じなのだ。アリシアが躊躇するのも無理からぬ事だ。一緒に住むとなれば、担当部署に届けを出さなければならないし、引っ越しの手配もしなければならない。
 それに、いつまでも同棲のままでは居られないだろう。
 ぬるくなった紅茶を一口。
 そろそろ、身を固めても良い時期なのかもしれない。
 ユキノの両親が脳裏をよぎる。こんな事を考えてしまうのは、彼等に感化されたからだろうか。娘であるユキノをとても大切にしている、一度会っただけの俺でもよく解った。理想的な家族とは、ああいうのを指すのだろう。
 俺はそんな親になれるだろうか。それ以前に、アリシアはどう考えているのか。
 紅茶を飲み干す。ダウンロードはとっくに完了していた。


「おはようございます」
 二度寝が抜けきらない頭で出勤。寝たはずなのに眠い。
「よう、ケイジ。アリシアちゃんなら考古学のラボに居るぜ」
「知ってる」
「あと首筋。一応気を付けた方が良いぜ」
 ゲオルグの言葉に、はっとして押さえる。それを見て笑い出すゲオルグ。
「……何だよ」
「嘘、嘘。何にもねえよ! やっぱりアリシアちゃんはお泊まりだったか」
「大きい声で言うんじゃねえよ」
 念のため鏡でチェックする。ゲオルグの言うとおり、何も無かった。
「で、お前、何でうちのラボに居るの?」
 ひとしきり笑った後、ゲオルグは少し真面目な顔をする。
「お前さんのPIPS起動テストに関わる事さ」
「俺の?」
「ああ。今回のPIPS起動テスト、一般人のお嬢ちゃんも関わる。これが結構注目浴びててな。まず、賢者の石に関して一般人、しかも子供が関わるのは前代未聞だ。対外としては、安全かつ理解を得た上での協力だときっちりアピールせにゃならん」
「まぁ、当然だな」
「それと、予算絡み。PIPSが上手く動く事が解れば、それの量産やら改良にゴーサインが出る。一般向けも出来る訳だ。つまり、それの開発予算が下りるわけだ。で、PIPSで見えた賢者の石。結果次第ではこれの解析にも新たな機材の投入が必要になる。てことは、予算の申請が必要って話だ」
「へぇ……シビアな話だな」
「俺はそれの調整役って訳」
 彼の話は聞いているだけで大変だ。俺の理解を超えている。だが、彼の働きが無ければ研究が続かないのは事実だろう。無碍には出来ない。
「ま、夢の無い話はお嬢ちゃんに聞かせられんな。調整は俺に任せて、お前は石の実験に集中してくれれば良い」
「解った。最善を尽くすよ」
 ゲオルグの呼び出しが急かす様に鳴っている。
「こちらベルガー。あぁ、はいはい、了解。……じゃ、またな、ケイジ」
 相当忙しいらしい。いつも余裕のある風に見えるゲオルグの忙しい姿は、初めて見るかもしれない。
(さて、こっちは……)
 入室チェッカーにIDカードを通す。ややあって、ロックが外れる。
「今日は休館日だ。思う存分、眺めていられるな」
 ドアの向こうでバーナー主任がにやりと笑っている。その手には、賢者の石のケース。
「良い日に……なるかもしれませんね」
 俺は賢者の石に目を落とす。そこには見慣れた、あの箱が在った。

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