小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 靴が擦れる音と、激しく床を打ち付ける音。放課後の体育館は、部活動の喧騒で満たされていた。
 「学校か。君にとっては、懐かしい場所かな」
 興味深げにシジマを見た後、カクリはある一点を見つめた。バレーコートだ。
 そこでは、女子バレー部が練習を行なっていた。掛け声と共に白球が飛び交う。その中心に居たのが、奈美だった。
 奈美が振り下ろした腕が、鋭くボールを叩く。放たれたボールは勢い良く、一直線にある場所へと向かう。
「あっ」
 鋭く打ち据えたのは、一人の女子部員。咄嗟に倒れ込んだ彼女に駆け寄りそうになったシジマは、自分を引き止める力にはっとなる。これは過去だ。カクリの囁きに、シジマは黙って頷いた。手を出す時ではない、今は見るべきだと解っていても、身体が動きそうになる。
 倒れた女子部員が、ふらつきながら立ち上がる。そんな彼女に手を貸す者は、誰も居ない。何故だ、と彼は打った者を、過去の奈美を見る。
 奈美は、笑っていた。
 罪悪感の欠片もないそれに、シジマはわざとやったのだと確信し、唇を噛んだ。
「ごめぇん。そんなところに居たからさぁ、ラインと見分け付かなくってぇ」
 媚を売るように、わざとらしく眉を下げる。謝罪する気が無い事は、口調と言葉で嫌という程に伝わってくる。
 他の女子部員も同様だった。誰も彼女を気遣わず、奈美と一緒に黒い笑みを浮かべていた。これが日常なのだろう。起き上がった彼女は女子部員たちを一瞥し、無言で歩き出す。その様子に奈美は笑顔を消し、舌打ちをした。
「水崎、まだ辞めないの? 同じクラスだからさぁ、会うのは教室だけで良いんだよね」
 誰ともなく、彼女、水崎本人にも聞こえるような声で奈美は言う。
 まだ居るみたいだよ。やる気無いなら辞めればいいのに。取り巻く部員も追従し、不愉快な輪唱が始まった。水崎は逃げるように体育館から姿を消した。
「シジマ、今は何も言うんじゃない」
 奈美を睨み、口を開きかけた彼をカクリが止める。
「けど」
「まだ早い。終わってからだ」
 カクリはシジマを強く制する。
 当の奈美は、過去の自分を不思議そうに眺めているだけだった。自分で自分を見るというシチュエーションに大きな混乱はしていないのか、そういうものだと受け入れているのかは解らない。ただ、目の前で繰り広げられる水崎への行為については、何の感情も抱いていないように見える。それが、更にシジマの心を波立たせていた。
 奈美は女子バレーボール部のキャプテンだった。快活な彼女は後輩から頼りにされており、部内を上手くまとめあげていた。学年やクラスを問わず友人も多く、充実した日々を送っているようだ。毎日が楽しくて仕方がなかったのだろう。そんな彼女だったが、一つ大きな悩みを抱えていた。
 彼女は、片思いをしていた。相手は、クラスメイトの中野だ。穏やかな彼は奈美とは対照的だったが、それ故に惹かれたのだろう。奈美が相談をした友人達は皆、奈美なら大丈夫だ、と背中を押してくれていた。奈美はその言葉を信じ、中野にアプローチを続けていた。思うような結果は出なかったが、それでも、以前よりは見てくれているような気がしていた。
「絵に描いたような学生生活だな」
 恋に部活に忙しい、青春真っ只中。奈美を見て、カクリはそう評した。シジマは何も言わない。心ごと身体を強張らせている。
「シジマ」
「……解ってる。見てれば、いいんだろ」
 過去の奈美を追い、彼らは校庭へと向かった。
 陽は傾き、空を夜色の混ざった茜が染めている。そこかしこに長く伸びた影が、地面を黒く切り抜いていた。
「ちょっと、やだな……」
 中程まで進んだところで、奈美の足が止まる。
「こっちには、その、行きたくないんだけど」
「何故です?」
 カクリの問いに、奈美は首を振るだけだ。何があるのかさえも言いたくない、と強い拒絶を示す。
「行かなければ、あなたの審判は出来ませんよ」
「けど、嫌、絶対に嫌。ねぇ、お願い。他の事で判断して貰えない?」
 彼女は鼻にかかるような甘い声で、カクリを上目遣いに見る。片思いの彼へ向けているものと同じだった。彼女流の男心を煽る術なのだろう。同年代や彼女を好意的に見ている男であれば願いを聞いているかもしれない。だが。
「行きましょう」
 カクリは鼻で笑う。そんなものに興味は無いと言うように。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 奈美は通り過ぎる彼の腕に取りすがる。胸を押し付けるように腕を抱き締め、泣きそうな顔で見上げた。
「嫌なの。どうしても、行きたくない」
 まるで恋人を引き止めるかのようだ。その精一杯甘く心の奥へ染みこませるような囁きに、カクリは溜め息と共に笑顔を向けた。
「どうしても、行きたくないのですね」
 奈美は頷く。その笑顔と言葉に自分の願いが通じたのだと確信したのか、彼女も顔をほころばせた。
「行きたくないのなら」
 笑顔を変えぬまま、カクリは言葉を続ける。
「連れて行くまで、ですけどね」
 カクリの指が鳴らされるまでの刹那、彼女の表情が歪むのをシジマは見た。恐怖か絶望か、或いは他の思いか。一瞬で駆け巡ったそれを、シジマは冷ややかな目で見ていた。

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