小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 人には、それぞれ与えられた時間がある。いわゆる「寿命」というものだ。人はその寿命を一杯まで生き、そして死んでいく。幼くして亡くなる者、不可抗力で命を絶たれる者、生命維持装置で生き流れている者など様々だが、それぞれに寿命を果たしている結果だとカクリは言う。
「だけどね、シジマ。君の場合は違う」
「俺はシジマじゃない。俺の名前は――」
「今までの名前はもう使えない、と言っただろう。君はシジマだ。その名を受け入れろ」
 カクリは彼、シジマを黙らせる。
「正確には君だけではなく君達、自ら命を絶とうとした者の事なんだがね」
 腑に落ちない様子のシジマをよそに、彼は話を続ける。
 自ら命を絶つ事は、寿命を果たさずに生を終える事だ。寿命はただの時間ではない。それぞれが生きねばならない義務として課せられたものなのだ。その義務を果たさねば、権利は与えられない。安らかな死の眠りは、義務を果たした者に与えられた権利だ。カクリは言う。やるべき事をやらずに権利だけを声高に主張するのは厚かましいと思わないか、と。
「だから、何らかの形で義務を果たして貰う事になる。元々生きる事事態が苦しみだったから、その義務も苦行でしかないのだろうね。自殺をすれば地獄行き、なんてのは案外外れじゃないのかもしれない」
 しかし、そういった形でも義務を果たせない者が居る。この場所――狭間の部屋は、そのような者に与えられる場だ。
「寿命の残りが多いから、なのか」
「それだけではないけれど、若年者が多いのは事実だね」
 狭間の部屋に来た者は審判となり、他者の生死を決める事となる。カクリは先の説明を繰り返した。自分が決めていい事ではない、とシジマは反論する。
「言っただろう。これは義務なんだ。果たすまで君はこのままだ」
 カクリは涼しい顔でそう返した。
「それなら何故、俺の願いを叶えると言ったんだ。義務ならば取引をする必要なんか無いだろう。騙したのか、俺を」
「騙してはいない。終われば君の願いは叶える」
 なかなか鋭い、とカクリは笑みを浮かべる。確かに、義務の対価としては過大だ。当然のように義務を果たしている者から見れば、願いが叶えられるなど不公平極まりない。取引をするというのも妙な話だ。シジマの並べる疑問に、カクリは薄く笑う。
「あの取引は、私との契約をするために必要だった。君の余命を預かり、補佐するためにね」
「もし、応じていなかったら?」
「私以外の案内人と契約する事になっただろうね」
「ここに来る事は、それじゃ、決まってたのか」
「ご名答。義務だからね」
 カクリはそう言って足を組み替えた。客人用のソファに差し向かいに座るシジマは、うつむいて唇を噛み締めている。
「願いを叶えてくれるってのは、どうしてなんだ」
 長い沈黙の後、シジマがようやく口を開いた。
「どうしてだと思う?」
 秒針の音が、ノイズのように鳴っている。嫌な音だ、とシジマは思う。自分が時間ごと切り刻まれている、そんな気にさえなってくる。
「義務の一部、だから?」
 刻まれた思考を寄せ集め、絞りだすように彼は言う。
「ご名答。鋭いね、君は」
 わざとらしく感心した素振りを見せるカクリ。せめてもの抵抗とシジマは彼を睨み付けるが、微塵も動じない。
「願い事が義務なんて妙な話だと思うだろうけれど、意味はちゃんとあるからね。まぁ、その時になったら教えてあげるよ」
 カクリはそう言って含み笑いをする。嫌な男だ。シジマは彼から視線を外す。
 今は何時なのか、自分がここに来てどれくらい経っているのか、シジマは何気なく自分の腕時計を見る。しかし、秒針は微動だにしていなかった。壊れてしまったのか、と竜頭を回してみるが反応は無い。溜め息をつき、時計を外す。
 部屋を飾る時計達は、一つとして同じ時刻を指していない。どれが正しい、というよりも、どれもが間違っているのだろう。基準となる時計も無さそうだ。持ち主はメンテナンスに興味を抱かなかったのだろうか。
 ふと気付けば、カクリがシジマの時計を手にしていた。興味深そうに眺めている。
「手巻き式の腕時計か。良い趣味をしている」
 彼は時計が好きなのだろうか。もしかして、この部屋の時計は全て彼のコレクションなのだろうか。シジマの問いに、彼は首を振る。
「ここにあるものは全部――」
 カクリが言いかけた時、部屋の何処からか鐘の音が聞こえてきた。シジマは驚き、周囲を見回す。大きくはないが、しっかりと聞こえる。音は一つだけだ。他の時計が鳴り出す気配は無い。鳴っているものだけが、その時間を指しているのだろうか。
 カクリはシジマに時計を返すと、ソファから立ち上がった。
「来たみたいだな。おいで、シジマ」
 そう促すと、彼を伴って部屋を巡る。鐘の音は止まない。もう十二回以上は鳴っている。壊れているのだろうか。部屋の状況を考えれば、そうであってもおかしくない。しかし、カクリは「来た」と言っていた。一体何が、と質す前にカクリが足を止めた。
「見てごらん」
 彼が示したのは小型の掛け時計だった、振り子式の木で出来ているそれには、卵を抱く鳥の彫刻が施されている。アンティーク調ではあるが、古いものではない。
「あれ、この時計……」
 何かがおかしい、とシジマは気付く。
 十二時を指し鳴り続ける時計。しかし、振り子は微動だにしていない。長針も動かない。もう数分は経っているはずなのに。
 カクリが壁から時計を外し、抱えた。それと同時にノックの音が響く。
「人? 誰か、来たのか」
「来た、と言っただろう」
 シジマにソファで待つように言い置くと、カクリは客人を出迎える。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
 優雅に腰を折ると、相手を招き入れる。
 客人は女性だった。三十代手前くらいだろうか。不安を感じている事は遠目でも解った。シジマはソファに腰掛け、事の成り行きを見守る。
 女性は不安を隠せない様子で、しきりに周囲を伺っていた。異様な部屋もその不安を助長しているのだろう。入ったものの、そこから動けないでいる。カクリに促されてようやく、頼りない足取りで歩き出した。怯えていると言っていいだろう。
 カクリは女性をソファに座らせ、シジマの側に控えた。さながら主人と執事のようだ。
 いつの間にか鐘の音は止んでいた。時を刻む音が、彼らの聴覚を支配していく。

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