小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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【第五章:終わる二人と続く世界】


 どれくらいの時間が経ったのかは解らない。ほんの少しの時間か、数時間か、数日か。そこに声は無く、刻まれる時の音と静寂だけがあった。
「決まったよ」
 その静寂と同じ名を与えられた少年、シジマがそれを破った。
「そうか。君の気持ちはもう、変わらないんだな?」
 名を与えた青年、カクリが静かに問う。幾分震えた声は、緊張のせいだろうか。
「変わらない。もう、答えは決めた」
 シジマはカクリの目を真正面に見据えて、言った。
「良いんだね?」
 質すカクリに、彼は首肯する。そこに些かの揺らぎが無い事を確かめ、カクリも頷いた。
「解った、二人を呼ぶ。少し待っていてくれ」
 カクリが静かに部屋を出て行った。
 最後の審判。それが決する時が来たのだ。


 センカに連れられてやって来たココウは、どこと無くすっきりとした表情をしていた。渦巻いた感情が綺麗に洗い流されているようだ。迷いはもう無いのだろう。彼女の答えも決まっていると見て良さそうだった。
 四人はもう一度、ソファで顔を突き合わせる。
「答えはもう、決まっているんだね?」
 カクリの問いに、シジマとココウは頷いた。
「それならば……シジマ。君の答えを、聞こう」
 三人の視線が彼に集まる。幾許かの緊張を感じながら、シジマは答えを唇に乗せた。
「俺は、生きさせてやりたいと思う」
 何故と問い掛けたのは、ココウではなくセンカだった。
「あなたは生きるのが辛いから死を選んだのでしょう? それ程辛い生を、何故与えようと思うの」
 センカは冷静を装っていたが、その声には隠し切れない戸惑いがあった。シジマにはその理由が解らない。だが、その詮索は無意味だろう、と彼は息を詰める。そして覚悟を決め、センカを見つめた。
「生きたいって思うんだったら、そうしてやるのが良いって思ったんだ。凄く、単純な理由だけど。それに、やっぱり、どうなるかなんて生まれてみなければ解らない。生まれてすぐに死ぬと決まった訳じゃない。同じ事の繰り返しになるけれど、俺と同じ目に遭ったって、生きていけるかもしれない。生まれて良かったって、思えるかもしれない」
 誰かの代わりにはしていない。勿論、自分の代わりに生きてくれとも思っていない。シジマは視線を、センカからカクリに移す。カクリからは笑顔が消え失せ、ただ余裕の無い、どこか怯えているようにも見える瞳を向けていた。
「君の理由は、同情ではないのか」
 瞳と同じように震えた声で彼は質す。
「持たざる者を哀れに思うから、そうさせて――生きさせてやりたいと感じているんじゃないのか」
 だとしたらやめてくれ、とカクリは言う。懇願しているようにさえ聞こえるそれに、シジマは胸が詰まる。
「カクリ、私に言った事を忘れたの? 私情を挟んでは駄目よ」
 センカがそう戒めると、カクリは唇を結んでうなだれた。泣いているのかもしれない。シジマはどう声を掛けたものかと彼を見るが、センカに先を促される。彼の言葉に対する答えを聞きたいのだろうと判断し、シジマは言葉を繋いでいく。
「同情していないって言ったら、嘘になる。可哀想だと思ったし、狭間の案内人って話を聞いたりしてると、願いを叶えてやりたいって思ったのもある。だけど、そんな理由で決めたんじゃない」
 そんな理由は自己満足だ。シジマはそう言い、カクリに向き直る。それこそ、持つ者から持たざる者への哀れみでしかない。相手のためではなく、自分のため――ただのエゴイズムだ。
 必要とされているのは、相手を本当に思う事だとシジマは思う。相手の立場になる、相手を感じる。人として当たり前とされている感覚、共感だ。
 「けれど、俺には共感なんて出来ない。どうしたって、生きたいというその苦しみとか、相手を憎む気持ちは想像出来ないから。俺に出来るのは、何が一番良いのか、どうしたら一番良いのか考える事だけだった」
 解らなかった、とシジマは息を吐く。考えれば考える程、どうしたら良いのか見えなくなっていった。それならば、枝葉を切り、理屈を捨て、それでもはっきりと残った思いを答えにしよう。シジマはそう決めて、答えを出したのだ。
「その答えの理由が、そうしてやりたいと思って……生きていけるかもしれないと思ったから?」
 カクリの言葉に、シジマは頷いた。
 今まで相対した全ての客人に対しても同じように考えたかと問われれば、違うと言う他無い。特に藤内奈美の一件は、水崎の事もあり完全な私情でしか無かったと言える。だからと言って比べても仕方が無いし、あの時とは違って成長したなどと言うつもりもない。ただ、これが自分の精一杯考えぬいた結論だ。シジマは唇を引き結んだ。もうこれ以上、言える事は無い。
 意を汲んだのか、カクリが頷いた。そこに薄い笑みが戻っている。
「ココウ、あなたの答えは?」
 今度はセンカが問う。
 シジマと同じく緊張した面持ちの少女は、一度視線を己の膝に落とした。そして、意を決したように顔を上げる。
「私は……私も、生きさせたいと思う」
「どうしてそう思うんだ。君は最初、生きない方が良いと言っていただろう?」
 理由を質したのは、カクリ。
「シジマの答えを聞いて、それに合わせたのか」
「違う。そんな事は無いわ」
 少しだけカクリを睨むようにして彼女は言い切った。
「ならば、どうして気持ちが変わったんだ」
「言われて、少し冷静になって、気付いたから。必要なのは自分と重ね合わせる事じゃないって」
 ココウはシジマに目を向ける。憂いが一瞬交錯した。
「自分が辛い思いをしたから、そういう目に遭わない事が良い事だと思ったの。私にとって、生きる事は地獄みたいな日々だった。出来る事なら、誰にもそんな経験をさせたくない。持たざる者の話を聞いた時、このままだったら私と同じ思いをするだろうって……だったら、最初からそうならないようにって思ったの」
 彼女なりの優しさだったのかもしれない、とシジマは小さく頷いた。
「でも、私と違うんだって、やっと気付けた。同じ理由になるけど、私じゃ駄目でも、その子なら大丈夫かもしれない。同じだって決め付けるのは、やっぱり、違うんだって解った」
「それが、あなたの答えなのね」
 ココウは頷き、きつく指を組み合わせる。それは、祈りの形だった。
 二人の案内人は互いを見合わせ、微笑んだ。安堵と、少しばかりの寂しさ、そして優しさの混じった柔らかなものだった。

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