小説『Life Donor』
作者:bard(Minstrelsy)

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 みつきの問いには答えず、彼はシジマの側にかがみ、時計を渡した。
「今から君の余命を、彼女に与える」
 シジマは時計を胸に抱く。蛍のような光が、輝きを増していく。今から何が起こるのか、緊張で首を振る事すら出来ない。そんな彼に、怖がらなくてもいい、とカクリが囁く。
「彼女が生き続けるために必要なのは、二十年だ。シジマ、目を閉じて」
 言われた通りに目を閉じた瞬間、何かが抜けていく感覚が彼を襲った。余命が抜かれているのだ、と数瞬遅れて理解する。未知の感覚だった。時計に触れる指先から魂が流れ出ていく、とでも言えばいいのか。力が無くなっていきそうなのに、身体はくずおれずに時計をきつく抱きしめている。それが唯一、自分を繋ぎ止めているかのようだった。引き結んだ唇から呻き声が漏れる。
「よし、これでいい。大丈夫か」
 カクリの声と同時に、身体の感触が戻った。額にうっすらと汗が滲んでいる。
 軽く息の上がった彼の背に、カクリがいたわるように手を当てた。まどろみに似た温もりが、彼の中へと染み込んでいく。
「何とか、うん、大丈夫」
 カクリにそう応え、シジマは深呼吸して息を整えた。その腕の中に微かな振動を感じる。規則的なそれに眉根を寄せて腕を解き、何事かと確認する。
「時計が……」
 シジマが抱えていた時計の振り子が、再び時を刻み始めていた。今まで微動だにしていなかったのに、とみつきも驚きを隠せない。
「さあ、時計を彼女に」
 カクリに促され、言われるまま時計を差し出す。困惑しつつ彼女は時計を受け取り、シジマとカクリを交互に見遣った。
「これは、何? 何が起こったの?」
「あなたを現世に戻すための手続き、といったところです」
 カクリは唇の端を持ち上げる。水晶のように残酷な微笑みを浮かべたまま、カクリはみつきに告げた。
「彼の時間をあなたに分け与えました。このままでは生きられないあなたを生かすためにね。もう大丈夫ですよ。これであなたは、生き続ける事が出来ます」
「あ、あの」
 困惑極まる表情で、みつきはカクリを見つめる。
「仰る意味が解りません。彼の、この子の時間ってどういう意味なんですか? それで生き続けられるって、どういう事なんですか?」
「余命です」
 みつきの唇が薄く開いた形のままで凍り付く。
「彼の余命を、あなたにお渡ししました。先程も申し上げましたが、あなたはそのままでは生きられません。そんなあなたが生きるためには、彼の余命が必要だったんです」
「じゃ、じゃあ……審判って、この子の命を貰うためのものだったんですか?」
「ええ、そうです」
 カクリは微塵も揺らがずに断言した。対するみつきは息を呑み、愕然と立ち尽くす。
「どうして、そんな事を。他人の、しかも子供の命を貰うなんて」
「彼は自ら命を絶ちました。あなたに渡したのは、彼が不要と手放した時間です。何の問題もありません」
 リサイクルみたいなものだと笑う彼に、彼女は叫ぶ。人の命を何だと思っているのかと。しかしカクリは彼女の怒りを受け流し、言い放った。
「言いましたよね、犠牲にしなければならないものがあると。それを受け入れる覚悟を決めて、あなたは審判に臨んだはずです」
「それは、私自身の事だと思ったからよ」
「あなたの思い込みですよ」
「何故教えてくれなかったの? 教えて貰っていたら……」
「審判を受けなかった、とでも仰るのですか。問われればお教えしましたよ。しかし、あなたは何も聞かなかった。生き続けると選択したのはあなたです」
「だけど、こんな事、許される事じゃないわ」
 時計を抱え、みつきはうずくまる。そんな彼女を見下ろし、カクリは言葉を続けた。
「彼も選択をしたのですよ。自分の余命をあなたに与え、あなたを生かすと。審判は下されたのです。あなたには、その結果を受け止める義務があります」
 みつきは伏せた顔を上げ、シジマを見る。その瞳には、悲しみと怒りの色があった。
「どうしてこんな馬鹿な事を。ご家族やお友達がどう思うか、考えたの? 子供が自殺をするなんて、耐え難い苦しみなのよ?」
 彼女は母親としてシジマに語りかける。シジマの脳裏に、家族の姿が浮かぶ。
「生きていれば辛い事もたくさんあるわ。だけどね、楽しい事だって一杯ある。死んじゃったら何もかも終わりなのよ」
 浮かんだ家族の姿をかき消す影。苦く澱んだ泥のような記憶が、シジマの心に溢れていく。
「何もかも終わりにしたいから、死ぬと決めたんです。俺は楽しい事なんて考えられない。生きている事そのものが、俺にとっては地獄だった。あなたように、それでも生きたいと思えなかった。俺の事は放っといて下さい。自分が辛くても生きたいと思うからって、俺にまでそれを押し付けないで下さい」
 彼は吐き出し、気持ちを閉ざした。もう何も思い出したくなかった。そして、みつきを見るのを止める。彼女はそれでも言い募ろうとしたが、鐘の音に遮られた。時を告げるそれは、彼女の抱える時計のものだった。
「いきましょう、浦川みつきさん」
「だけど!」
「審判も、彼の選択も変える事は出来ません。あなたに出来るのは、結果を受け止め、最期まで生き続ける事です。それが、命を与えられた者の義務なのです」
 みつきから困惑と非難の色は消えなかった。だが、静かに紡がれた彼の言葉に頷くしかなかったのだろう。意を決して立ち上がる。
「私は、あなたにお礼を言うべきなのだけど、素直にありがとうとは言えないわ。生きられるのは嬉しいけれど……あなたを犠牲にしてしまうのだから」
 シジマは何も応えない。
「それでも身勝手な事を言わせて貰えば、私は、あなたの分まで生き抜いてみせる。あなたに貰った命、大切に生きるわ」
 カクリが再び彼女を促す。みつきは最後に深く頭を下げた。
「いきましょう、浦川みつきさん」
 部屋を出ていく彼女の姿を、シジマは黙って見送った。

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