小説『先生は女子大生』
作者:相模 夜叉丸()

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部屋にはいると僕は制服を脱ぎ、ハンガーにかけて若干疲れた体をベッドに沈めた。横目でスタンドに飾ってある黒いアコースティックギターをチラ見してから天井に目をやった。ああ、しばらくは滅多に弾いたりはできないんだな、かたい決心のつもりで自分に言い聞かせた。だって、受験ですから。
 しばらくして母が僕を呼びに来て昼食を姉と三人で食べた。姉はまだあの話題を引きづってるようで僕を見るたびにクスクス笑ってた。ムカついた僕は姉が食べてた炒飯を強引に一口奪って食べてやった。
 別に緊張も心構えもしてなかったから時間がたつのもそんなに長くは感じなかった。部屋でゴロゴロしてたらあっという間にその時間になった。僕は勉強机の横に掛けてある白いナイキのマーク入りショルダーバックを持ち、部屋を出た。階段を降りてくる僕を見るなりリビングのソファで韓国ドラマを見てた母はあらもうそんな時間なの、と言って玄関で靴を履く僕を見送りに来た。姉も母に続いて玄関に来た。
 「じゃ、行ってきます。」
 僕は母と姉の視線を背に扉を開けて歩き始めた。
 道は分かっている。なんせ僕が毎日使う最寄り駅の線路沿いにあるのだから。家の前の傾斜を登り道路に出た。交通量が多いけど、ここを横切れば近道。排気ガスやら近くのラーメン屋の排気口から匂う味噌か醤油か分からないが、漂ってくる匂いを嗅ぎつつ僕は左右を見て突っ走った。そこから住宅地の間の道を通り、団地の敷地を抜けて、錆びついた白いスロープを途中途中で掴みながらコンクリの階段を降りていく。降りた先にはキングマートというコンビニがあって、その脇の道を真っ直ぐ行くと僕がこれから通うことになる市谷スクールがある。塾の向こうには線路と、桜並木で少し見えづらい小さな駅・プラットホームが見えた。
 塾の前に立った。目の前には受付があって、先生がいろいろと歩き回って書類の整理やら教科書をコピーしたりしている。
 来たら受付に顔を出しなさい、個別指導のほうの塾長が母と面接に行ったときに言っていたので僕は受付に行かなければいけない。一歩踏み出そうとしたが急に頭によぎった姉のあの言葉。

 女子大生の先生だったらだいじょうぶかなーって・・・

 それを気にしてたら何もできないし、というか同じ人間なんだから大丈夫なはずだ、食べられるわけでもないしと僕は自分を励ました。大丈夫という確証もないが実際に行ってみないことには何も分からない。他の生徒が自動ドアから出るのを見計らって僕は中に入った。受付の中年の女性が僕を見るなり笑顔でこう言った。
 「今日塾初めて受けるんだよね。えっと名前は・・・。」
 僕は軍人でもないのにビシッと直立不動になり田中です、と答えた。
 その人が例の塾長を呼んできた。頭の禿かかっている塾長は笑顔でやぁやぁよく来たねと言って、僕を上の階に誘導してくれた。階段を上がってる途中で教室長が丁寧に説明をしてくれた。
 「授業は一宮先生という方がやってくださるから。教室は206号室。勝手に入って自習やっててもOKだからね。」
 階段を上がって左に曲がると若干薄くなった206号と書かれた表札の扉を先生は開けた。僕もそれに続いた。
 入るとその教室は学校の教室を半分にした程度の広さで。縦二列に机が奥まで並んでいた。多分一列は4席くらいだろうか。その机には全て椅子が三つと、敷居が立てられていた。
 机の列の間にできた通路を塾長に続いて歩くと、前から2席目くらいに先生が座っていた。ちょっと茶色かかった頭頂部が見えた。まぁ、誰だろうと髪くらい染めるよなぁと思いながら近づいてみると、ん?その髪が肩まで静かにかけられているのが見えた。・・・まぁまぁまぁ、長髪の兄ちゃんぐらい居ますわな。ダイヤモンド☆ユカイ的な。
 「一宮先生。」
 塾長が静かな声で白衣を着たその先生に声を掛けるとその先生は顔を上げた。僕は、その先生を見て自分の体が石になったのを感じた。
 白い肌に清楚そうな顔つき。長いまつげの黒い瞳の・・・・。
 「この子が今日から担当だから。頼んだね。」
 一宮先生とおっしゃるその方は僕を見てニコッと微笑んで分かりました、と塾長に言った。
 僕の後ろを通って教室長は眼鏡を掛けた顔で僕に笑いながら頑張れよ、とガッツポーズした。塾長が去って教室の扉がパタンと閉まる。教室に居るのは僕と先生だけ。一瞬静寂が訪れた。
 (う、嘘だろぉぉぉぉぉ!!!!!)
 僕の脳がまるで氷河期がいっきに来たみたいに凍りつき、何も考えられない。だってだって・・・。
 「田中君?どうぞ座って。」
 席に座ってる先生が僕を見て隣の椅子を空けた。
 「は・・・はい・・・・・・。」
 僕は恐る恐る先生の隣に座った。ああ、なんと歴史的な瞬間なんだろう。知らない異性とこんなにも近くに接近したことがあっただろうか。座った瞬間、先生がつけていると思われる香水のいい匂いがした。
 先生は僕のほうに椅子を向けてえっと、と言って首から下がってる名札を手にとった。
 「これから田中君の英語の授業を担当します。一宮春恵です。よろしくね。」
 先生はまた微笑みかけて僕を見た。僕はもぞもぞっとよろしくお願いします、と聞こえるか聞こえないかの微妙な声を発した。一宮先生は机の上にある英文法問題集を手に取り話し始めた。
 「田中君は高3でこれから受験ということで、まず英語の基礎文法をやっていきたいということで・・・塾のほうで準備した問題集を進めていくって形になるけど、どこか苦手なところとかある?」
 「あ・・・え〜と・・・。やっぱり関係詞が苦手です・・・・。」
 質問に答えるのが精一杯だった。僕はそれどころじゃなかった。頭の中はもうオーバーロードしてる。
 「うん、そうね。私も苦手だったなぁ。じゃぁ、早速始めよっか。ノートある?なかったらルーズリーフあるけど。」
 「あ、大丈夫です。持ってきました。はい・・・。」
 先生は問題集を開いて一番左に書いてある関係詞に関する用法や注意を解説し始めた。
 「まず軽く説明すると関係詞というのはこの先行詞と・・・。」
 ああ、僕は無事に乗り越えられるだろうか。この時間を。  

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