小説『鎧ノひと【全77話 完結】』
作者:wanari()

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 漆黒の翼を広げる。はるか高み、魔王=皇々神姫の頭頂部をじっと睨む。勢いよく地面を蹴った――と同時に後頭部を打ち据えられる。強(したた)かに。

「――っ! 何するんだミリッツ!」

「暴走するな、ヴァルガ=バークホルド」

 右手に天術の光をまとわせたまま、ミリッツが不敵に笑っていた。振り上げられた魔王=皇々神姫の腕で再び影が差すが、彼女の口調は変わらなかった。

「誰も貴様の想いに否という奴などいない。自分一人だと思うな。試せる手はまだ十分に残っているはずだ」

「ミリッツ……」

「分隊長殿、だ」

 圧を感じる。大気の軋みが近づいてくる。それでもヴァルガは懐かしそうに表情を緩めた。

「了解しました。ミリッツ分隊長殿」

 直後――垂直落下した拳が大地に深々と突き刺さった。舞い上がる粉塵、伝播する衝撃、えぐり取られた地面が鼓膜を破くほどの悲鳴を上げた。

 粉塵で黄土色に彩られた中空から、ヴァルガとミリッツが抜け出す。胸に抱えられた状態で、ミリッツが大声を上げた。

「とにかく一度本隊と合流する! 天術隊が生きていれば、少なくとも多少の足止めはできるはずだ! その間に軍の態勢を立て直す! 撤退もやむを得ん!」

「だがこれだけの軍勢だ! 再編成は厳しいんじゃないのか!」

「必要なのは時間だ! そのことを上層部に思い出させる!」

 風を切って飛ぶ。眼下では人間・魔獣問わず無数の屍が転がっていた。そのひとつひとつから、何か白い塊のような光が湧き出ていた。

 あれは何だ、とミリッツがつぶやく。「人間の魂だ」とヴァルガは答えた。

 いつかの戦場のように、頼りなく空へと舞い上がっていく彼らの魂。魔王=皇々神姫の直上、真円に空いた空間の穴に吸い込まれていく。

「あんな光景、初めて見た」

「今が特別なんだよ。きっとあの穴が空いている状態で人が――」

 と、そこまで言いかけたとき、ヴァルガの脳裏に閃くものがあった。

 空中で急制動、むせるミリッツにも構わず、後方――魔王=皇々神姫を振り返る。

「げほ、げほ……一体どうしたというのだ!?」

「大軍の布陣……消耗戦を厭わぬ運用……そして無差別の破壊……まさか」

 まさか、アデル。あんた、初めから人間の魂が目的で……?

「おい!?」

 幾分不安そうなミリッツの声に我に返り、再び飛翔を開始する。

 そしてようやく、まとまった軍勢が集まる地点へと辿り着く。だがそれでも、魔王=皇々神姫との距離が離れたようには思えない。相手が桁違いに巨大なせいだ。

「おぉーい!」

 空からかけられた声に兵たちが目を剥く。無理もないが、このまま撃ち落とされてはかなわなかった。ミリッツが声を張り上げる。

「私は皇々神姫レニーカシュナ様に選ばれし結節御子、ミリッツ=ワーク=バークホルド! 緊急事態につき至急御報告したいことがある! 指揮官は誰か!」

「私ならここだが」

 ヴァルガとミリッツは足元を見る。青白い顔貌に薄笑いを貼り付けた男が立っていた。

 ネクロス=ディオ=カシュナ。皇々神姫の右腕であり、現段階でのシュティセア軍最高司令官であるはずの男だ。

 ヴァルガが眉をしかめていると「兄さん」と急かされた。ゆっくりと地面に降り立つ。即座に礼を取ったミリッツに対し、ヴァルガは敢えて真正面から睨みつけた。

 彼らの姿を見たネクロスはいつも通りの口調で言う。

「よくもまあ無事だったものだね。や、感心さあ」

「進言いたします、ネクロス司令。今すぐ伝令を走らせ、全軍の掌握を。今のままでは単なる烏合の衆に過ぎません」

「時間を稼いで軍を整えよ、ということなら、もうすでにやってるっさね。それで?」

「……なれば。あの異形はただの魔獣ではございません。恐れながら、我らが皇々神姫レニーカシュナ様が憎き魔王と融合された姿。大いなる予言者が今、大いなる破壊者として我々の前に立ちはだかっているのです。おそらく、ここにいる人間全員を殺戮するまで止まらないでしょう。ここは一刻も早く撤退し、対策を練るべきです。手遅れになる前に」

 銀髪を振り乱し、全身で語りかける彼女の姿に、その場にいた兵たちは息を呑んだ。だが表だって異を唱える人間はいなかった。急展開に次ぐ急展開で、皆疲労の極みにあるようだった。誰も彼もが限界ぎりぎりまで張り詰めた表情を浮かべ、ネクロスを見る。


 そんな中、である。


 この場で唯一平然としている男は、笑みすら浮かべてこう言い放った。



「態勢を整え次第、全軍突撃。私も出る。故に撤退はない。ないさあね」



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