小説『ダーウィンが来た』
作者:市楽()

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ダーウィンがいた。駅前商店街の一角にある魚屋の軒先で店主の言動にあいつは一喜一憂していた。

ダーウィンは店主から聞いたことを漏らさないようにゾウ亀の甲羅を机替わりにしてノートに書いており、

なかなか熱心な様子である。ただ、おれには夕方の忙しい時間を邪魔しているようにしか見えない。

それでも珍しく忙しそうなので声をかけずに通り過ぎようとしたのだが、そういう時に限ってダーウィンは

おれに気がつく。いつものように人懐っこい笑顔で近づいて来るので、おれは人混みに紛れ損ねてしまう。

とりあえず「ノート持参で随分と熱心だな」と照れ隠しに褒めてみた。

するとダーウィンは「実地調査は研究の基本ですから」と珍しく学者らしいことを言って胸を張った。

胸を張るだけあってダーウィンは最後の頁を開いており、早くもノート1冊を使い切ってしまったようだ。

相変わらず暇だな、と思いつつ「うちに寄っていくか」とおれは言った。

するとダーウィンは待ってましたとばかりに嬉しそうに頷くのであった。

別れの挨拶をするダーウィンは店主から「また、明日も来ていいぞ」などと言われながら見送られていた。

魚屋一筋の頑固そうな店主にこんなことを言わせるとは、また上手く懐へ飛び込んだものだ。

 少し歩くと、今度は八百屋から「ダーちゃん、ダーちゃん」とダーウィンを呼ぶ声が聞こえてきた。

声の主は八百屋の女将さんである。また、野菜クズをくれるのだろう。

ダーウィンは嬉しそうに女将さんから野菜くずを貰い、ゾウ亀も頭を垂れて感謝の気持ちを表していた。

他にもダーウィンと駅前商店街を歩くと色々な店から声がかかる。

足繁く通ううちに、ダーウィンは駅前商店街で知らぬ人はいない顔になっていた。

 このところダーウィンとは毎日のようにこうして帰っている。

たまに一緒になることはあったがこうも頻繁だと何かあるのかと勘ぐってしまう。

気になって聞いてみると「ご隠居さんが家にいませんから、お邪魔することはできないです」と

ダーウィンはきっぱりと答えた。たしかに親父はこのところ夏祭り実行委員に選ばれたとかで、

毎晩のようにはりきって出かけている。それとなんの関係があるのかは、きっぱりと言われた割には

さっぱり分からなかった。その辺りを追及しようとしたら、「よう、ガラパゴスの兄ちゃんじゃねえか」

という声が上から降ってきた。おれとダーウィンは揃って上を向くとこの間の大工が改装工事中のソバ屋の

二階から顔を出していた。

「こんばんは」とダーウィンが挨拶をする。この間の夜を知るおれとしてはなんだか複雑な気分になってしま

う。まぁ、嫌なことも含めて全て酒が流してくれたのだろう。

大工もそうなのか「兄ちゃん達、ちょっと中に入ってきてくれないか」と誘ってきた。

理由は分からないが、ガラパゴスの一件があるので断りにくいので、不思議そうな顔をしているダーウィンを

連れて誘われるままに改装工事が済んだばかりのソバ屋に入った。中に入ると改装工事は終わったらしく、

内装もきれいに仕上がっていた。大工の声が二階から聞こえてきたので、ゾウ亀を残しておれとダーウィンは

二階へと上がった。二階でおれとダーウィンを待っていたのはあの大工と城だった。

「おぉ〜、すごいですね」とダーウィンが思わず感嘆の声をあげる。縮尺はわからないが、

模型と言うには立派すぎる小さな城が二階宴会場の真ん中にでーんと置かれていた。

おれとダーウィンが驚く姿を満足そうに見ていた大工が「なかなかのもんだろ。

ここの施工主から依頼されて作ったんだ」と説明してくれた。なんでもソバ屋のおやじが城好きで、宴会場に

何か目玉になるものが欲しくて依頼したらしい。それにしても見事だと褒めていると、

「へへっ、これでもまだ満足はしていないんだぜ」と大工は得意げに続けた。

「いつか本物の城を建ててみてえんだ。それがおれのもう一つのガラパゴスだ。

これなら兄ちゃん好みのガラパゴスだろ」と少し照れながら言った。

まだ、ダーウィンに言われたことを気にしているのだろうか。

「それは素敵ですね」とダーウィンはにこにこしながら言った。それを聞いた大工はほっとしたらしい。

力の抜けた顔をして「どうだい、お近づきの印にこれから一杯」と嬉しそうに大工は誘ってきた。

嬉しそうなところを見ると、どうやら気にしていたというよりはガラパゴス仲間に入りたかったらしい。

「いいですね〜」とダーウィンも嬉しそうに答えた。ダーウィンは奢ってくれる人は大好きだ。

大工が支度を整えるまでソバ屋の前で待つことにした。

 さて、待っている間におれもあの夜から気になったことをすっきりとさせるとしよう。

「なぁダーウィン、このゾウ亀って名前はあるのか」とおれは聞いてみた。

いつまでもただゾウ亀と呼びのもなんだかよそよそしくて嫌だった。

名前があるのなら、そろそろ名前で呼んでやりたい。気が付くとそんな気持ちが芽生えていた。

ダーウィンは「パゴスと言います」と答えた。由来は聞かなくても分かる。

「あらためてよろしくな、パゴス」とおれは出会いの挨拶を仕切りなおした。

ついでに日頃の苦労を労うように甲羅を撫でるとパゴスは「こちらこそ」と言わんばかりに頭を下げた。

気のせいかもしれないが、その様子を見てダーウィンが嬉しそうに笑っていた。

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