小説『ダーウィンが来た』
作者:市楽()

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ダーウィンの気が向いた。さきほどの浮かれた歌が再び駅前商店街に響く。

目の前で起こる出来事を理解できた野次馬はいただろうか。

おれもダーウィンの想いはともかく、行動までは理解できそうもなかった。

ただパゴスがダーウィンの歌に合わせて必死に甲羅をフリフリする姿は、応援しているように見えた。

たとえ味方がゾウ亀一匹だけでも、ダーウィンは懸命に歌う。

ただ、残念ながら店主と女将さんにダーウィンの歌は届いていない。二人は喧嘩をまだやめてはいない。

ダーウィンの歌は二人の言い合いを打ち消すことはできなかった。

だが、ここでダーウィンはあきらめなかった。

言い合いに負けじと、ますます声を張り上げて店主と女将さんへの距離をじりじりと詰めだした。

野次馬達から、おぉっという声が漏れる。どこまでダーウィンがいけるのか、何をするのか見たくなってきた

らしい。ダーウィンが距離を詰める度に野次馬達の期待と緊張が高まるのが分かる。

ついにダーウィンは今にも体を密着させんばかりに近づいた。すると二人は言い争うのをぱたりと止めた。

そしてゆっくりと先ほどから聞こえる歌声の元を見つめた。

ダーウィンはここぞとばかりに、畳み掛けるように歌い出した。

「うるさーーーーーーーーい!」今まで喧嘩をしていたとは思えないほどに息の合った一喝でダーウィンの歌

は吹き飛ばされてしまった。それで終わらずに、

「さっきから、うるさいんだよ。ピーチクパーチク分けの分からねぇ小鳥の寝言みてぇなことばかり言いやが

って!」と魚屋の店主は続け。

「そうだよ、ダーちゃん。遊びたいのなら他所でやっておくれ!」と八百屋の女将さんにも言われる始末。

二人の矛先は悪い予感のとおり、ダーウィンへと向けられてしまった。

二人の怒鳴り声の隙間からかろうじて「あわわわわわわ」とダーウィンが狼狽える声が微かに漏れ聞こえた。

さぞ、思っていたのと違ったことだろう。そこからの時間はダーウィンにとって苦痛以外の何物でもない。

こうなるじゃないかと心配したことが、そのまま現実になっていた。

ダーウィンに悪いがこうなっては手が出せない。しばらく落ち着くのを待つしかないのでしばらく眺めてい

た。すると、おれの足と誰かがつついた。

振り返るとパゴスが地面にこすり付けんばかりに頭を深々と下げていた。

上目づかいにおれを見る視線が「なんとかしてあげて」と言わんばかりである。

ここまでするパゴスを無視できるだろうか。おれはこのゾウ亀にそんな無慈悲なことはできない。

おれは「まかせろ」と言わんばかりにパゴスの甲羅をぽんと叩いた。

正直、妙案はないがここはこうするしかない。そんな時だった。

「うわ〜〜〜〜ん。そこまで言うことないじゃないですか〜〜〜〜」と店主と女将さんの怒鳴り声を

ダーウィンの鳴き声が切り裂いた。ダーウィンはとうとう泣いてしまった。

その怒涛の泣きじゃくりようは店主と女将さんの怒りを凌駕していた。「泣く子には勝てない」とは聞くが、

「泣くダーウィン」は反則ではなかろうか。しかし、反則技の威力は絶大だ。

店主と女将さんは言葉を失っておろおろしている。大の大人に泣かれてしまってはしようがないだろう。

この瞬間を逃さずにおれはダーウィンに近づいて、「すいませんね、ダーウィンが迷惑をおかけしたようで」

と声をかけた。するとなんとかなりそうな手応えを感じる表情で店主と女将さんはおれを見た。

まずは二人を落ち着かせるために、状況を説明してもらうことにした。

困惑する二人の説明は理解し難いものだったが、とりあえず相槌を打っておいた。

言葉も出尽くしたので、そろそろ頃合いらしい。

「きっと、ダーウィンはお二人に仲直りをして欲しかったんですよ。だから、お二人が仲直りをすれば

きっと泣き止みますよ」とおれは提案した。それを聞いた二人は訝しげな顔と沈黙で答えた。

こんな状況になっても仲直りをするのは嫌らしい。

「うえ〜〜〜ん。喧嘩はだめです〜〜〜。仲良くしましょうよーーー」とダーウィンは泣きながら言った。

それで二人の心は傾いた。

「色々言いすぎて悪かった」と店主が言えば、「あたしの方も言い過ぎたよ。悪かったね」と女将さんが答え

た。目も合さずに簡素な謝罪ではあったが、一応は仲直りをしてくれた。

顔を覆う指の隙間からその様子を見ていたダーウィンが「仲直りの握手はしないんですか」と呟いた。

二人とも顔を引きつらせ、握手が出来ないぐらいにお互いの距離を広げた。握手は限度を超えているらしい。

さらにダーウィンは「握手は」と声を震わせながら言った。早く解放されたい二人は慌てて握手をして、

「これで仲直り。もう喧嘩は終わった終わった」と言って仲直りをしたことをダーウィンに強調した。

今度は「笑顔は?」とダーウィンは呟く。よほど泣かれたのが堪えた二人は下手な笑顔を作り、

腕が千切れんばかりに激しい握手を披露した。それを見たダーウィンはすすり泣くまでに落ち着いた。

この辺が潮時だろう。「二人が仲直りをしてよかったなダーウィン」と言いながら、未だすすり泣く

ダーウィンを連れて店主と女将さんに別れを告げた。野次馬達がそっと道を開けてくれる。

おれ達は静かに駅前商店街を後にした。

 駅前商店街を抜けて住宅街まで来た辺りで、周りに誰もいないことを確認したおれは「もう、いいぞ」と

ダーウィンに囁いた。ダーウィンは指の隙間から辺りを慎重に窺ってから、そろりそろりと両手を顔から

離した。軽くおれとダーウィンはハイタッチを交わす。

「上手くいったな」とおれが言うと、「いやぁ〜、危機一髪でしたよ」とダーウィンは笑って答えた。

ダーウィンは様々な危機を泣くことで切り抜けることができる。簡単に言うと嘘泣きというやつだ。

嘘泣きで多くの危機の脱したことで、最近は泣けばなんとかなると思っている節がある。

それでも駅前商店街名物の喧嘩をなんとか収めたのだから、ダーウィンの嘘泣きの力もなかなかのものだ。

少なくともダーウィンが言った歌の力とやらよりも、力を感じさせた。

だから「お前、また腕を上げたんじゃないか」と褒めておく。

「えぇ、自分でも自分の進化に驚いています」とダーウィンは自画自賛した。

自画自賛はそれで終わらずに、「今日こそは、念願の晩酌2杯目を奥さんからいただけそうです」と

大袈裟なことを言うぐらい手応えを感じたらしい。

そんなおれ達のやりとりをパゴスが苦笑いをするように口元を歪めながら見ていた。

まるで悪戯小僧達にあきれているようだった。

ちなみに、その夜の晩酌も一人コップ一杯までと決められてしまった。

おれのガラパゴスは今晩も手強かった。

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