小説『ダーウィンが来た』
作者:市楽()

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ダーウィンが歌った。負けじと親父も歌い出す。

似た者同士とは言うが、時々この二人はおれ以上に親子じゃないかと思う時がある。

晩酌がすすみ、ほろりと酔いが回り気分がよくなった頃、あの浮かれた歌が聞こえてきた。

気持ちよさそうに歌うダーウィンの歌声でテレビの音が掻き消されていく。

見るともなしにつけていたのであまり気にはならない。

ダーウィンが歌うというのならそれを肴に呑むだけだ。

ただ、ダーウィンの気ままを親父が黙って聞きそうもなかった。親父は案外、礼儀などにうるさい。

また、怒鳴りだすのではないかと思い親父の様子を窺ってみる。

すると礼儀よりもなぜか負け嫌いが勝ったらしく、親父も歌い出した。

ダーウィンの浮かれた歌と親父が歌う演歌が重なり合って家中に響く。

それは酒の肴にしようとしても、酒の味を奪うような不協な響きだった。

おかげで晩酌は遅々として進まず、今度はおれが黙っていられそうもない。

すると「あらあら、お義父さんもダーさんも楽しそうね。まるで年末の歌合戦みたい」と言いながら嫁さんが

晩飯のおかずを盆に載せて現れた。

嫁さんにこう言われて、紅くも白くもないくせに親父とダーウィンはすっかりその気になったらしい。

歌うのを止めて生意気に照れ笑いを浮かべていた。この様子では、もう一勝負始まりそうだ。

「でもね、そろそろご飯にするからお義父さんもダーさんも静かにしてね」と嫁さんは微笑んで言った。

笑顔から滲みでるものを感じ取ったダーウィンと親父は大人しく嫁さんから茶碗を受け取って、

もそもそと食べ始めた。

その様子を横でにやけて見ていたおれも「ほら、あなたも晩酌は終わりにして食べて下さい」と茶碗を渡され

たので、もそもそと食べ始める。おれのガラパゴスに油断は禁物である。

 先ほどとは打って変わって静かな晩飯がちゃぶ台で粛々進んでいた。

誰も話さないので食べる音とテレビのニュースだけが聞こえる。

なんとも気まずいのだが、こういう時に場が一変するような名文句が浮かんだためしがない。

こんな時におれに出来るのはテレビのチャンネルを変えることぐらいだ。

ニュースから転々とチャンネルを変えてみる。この空気を刺激しない程度でほど良く場が和らぐ番組に

出会おうとするのだが、どのドラマもお笑番組も今一つだった。

残る一つのチャンネルに合わせると日本海の荒波を模した派手な和服姿の男が力強い伴奏に合わせて、

今まさに歌おうとしていた。これも今一つとチャンネルと変えようとした時、

「おい、大海原大海じゃねえか」と親父が言った。言われると確かに見覚えのあるこの歌手は『大海原大海』

だ。年末の歌合戦にこそ出たことはないものの、テレビでちょくちょく見る演歌歌手だ。

それがどうした、と思うのだが「おぉっ、大海原大海ですね」とダーウィンが言えば

「あら、ほんと大海原大海だわ」と嫁さんまでも大海原大海に興味深々である。

いつの間にか我が家で大海原大海が流行しているらしい。

おれ一人が乗り遅れていると嫁さんが「今年の夏祭りにこの人が来るのよ」と教えてくれた。

ささやかな夏祭りぐらいしか催し物がないこの町に有名人が来るなんて、子供の時に公民館でコンサートを

した『街で噂の二人組 マサとマリア』以来だ。今年はうちの町内会も随分と張り切ったものだ。

だから、思わず「へ〜、すごいな。うちの町内会も結構やるもんだな」と『夏祭り名誉実行委員長』の前で

口を滑らしてしまった。しまった、と思ったなら時すでに遅しである。

『夏祭り名誉実行委員長』は「結構やるだと〜、馬鹿を言っちゃあいけねえよ。今年の夏祭りは例年になく

盛り上がるんだからよぉ」と興奮した様子でしゃべりだした。

町内で有名人を呼ぼうと言い出す夏祭り関係者は親父しかいない。

親父は立ち上がったかと思うと、身振り手振りを交えて、『大海原大海』が出演を承諾するまでの経緯を一人

で何役もこなして再現し始めた。

おそらくは、おれのいない間に何度か繰り広げられた親父の一人芝居をダーウィンは楽しそうに、

嫁さんはにこにこと黙って見ていた。親父自身が語る縦横無尽な活躍ぶりを見ると、今年は例年以上に町内の

皆様にご迷惑をおかけしたらしい。親父が暴走して周囲にかけた迷惑は、夏祭り当日に愚痴や文句となって

おれに返ってくる。昔はお袋と分担できていたのだが、お袋が亡くなってからはおれ一人に集中している。

子供の頃から続くおれの夏祭りの恒例行事とはいえ「慣れた」の一言で片づけることはできないものがある。

だから、「ちゃんと聞いてんのか!ここ大事なとこだぞ」などと親父に言われたら

「うるせえな、下らない親父のドタバタ騒動なんか知るか。テレビ見てんだから静かにしろ」

と言い返したくもなる。

「てめえ、親に向かって何て口の聞き方だ」と親父が言うなら、

おれは「親だ、親だと威張るんなら親らしいことをしてから言えよ」と返すだけだ。

こんな感じでおれと親父はちゃぶ台を挟んで口喧嘩を始めた。ダーウィンはこういう親子喧嘩に慣れていない

らしく、おろおろとするばかりだった。しばらくおろおろした後、徐にダーウィンは立ち上がり大きく息を

吸い始めた。「それはこの間やったからもういい」とおれは歌い出そうとしたダーウィンを止めた。

歌うことを止められたダーウィンは唯一の解決策を失ったことで茫然としていた。

さて、お次は得意の嘘泣きでもしてくるかと思ってダーウィンの様子を見ていると、カチャカチャと食器を

片づける音がした。それは嫁さんがおれと親父の食器を黙々と片づける音だった。

ちなみにおれと親父の食器には食べかけのおかずや米が残っているのだが、嫁さんは気にする素振りはない。

思わずおれは「あの〜、何をしているんでしょうか」と喧嘩を中断して聞いた。

「えっ、もうご飯いらないんでしょ」と嫁はおれのことを見ずに言った。

「いや、そのそろそろ再開しようと思っていたところなんだけど・・・」とおれは恐る恐る言ってみた。

「そう、だったら静かに食べてね。」と言うと嫁さんはちゃぶ台に皿と茶碗を戻した。

おれと親父は笑顔すら無くなった嫁さんの指示に従って座り、静かな夕食を粛々と進めた。

 食べ終えた食器を台所へ持って行く時、「はぁ〜、どうしてみんな夏祭りのことで揉めるのかしら」と

嫁さんはぼそりと呟いた。どうやら、嫁さんの機嫌の悪さは夏祭りに関係するらしい。

親父のはしゃぎようといい、あまりいい予感がしない。それに今年はダーウィンがいる。

今年の夏祭りはどうなるのか、あまり考えたくはない。

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